自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

ストラテラ処方録④(ADHDさが溢れる)

10月4日 内定式のため東京へ

◯3時過ぎに起きて準備やいつもの儀礼、情報収集。ひらくPCバックにより移動中の財布の取り出しなどが容易に。移動中、ずっと読書と情報発信。飛行機に比較的スムーズに乗れた。空港に着き珍しくやる気が起きなかったので40分の座禅。もやついて引っかかっていた何かが取れ、読書に集中し始めた。猫の安請いをフォローできた。

△出発時間が遅れ、さらに駅について朝食を買っていたら乗車予定の電車に乗り遅れた。睡眠少なくていけるかと思ったが、電車の中で浅い睡眠。さすがに非効率。毎度、最初のチェックの時にスーツケースを受付に置いたまま離れてしまう。シェアハウスの猫の保護を安請いした。副作用が効いて腹の不快感から眠れなかった。1時から2時くらいまでダラダラ。タオルと寝具を忘れた。準備不足。

*無気力になった時、強めの座禅を行うことで洗われる。

10月5日 内定式当日 (ADHDけが最大化)

◯朝から自己紹介の練習のため内容を考え練習。動画を撮りながら本番さながらできたの可。

△内定式に遅刻した。詳細は以下。練習に集中しすぎて、2度乗車予定の電車を乗り過ごした。(乗る必要がなかったからというのもあるが) 電車が止まって、「待っておけばなんとかなるだろう」という楽観と「今のうちに練習できる」という「やりたい」が優先して、15分ほど同じ駅に滞在。JRに乗り換えて、JRも遅延していたにもかかわらず、遅延を考慮した電車の情報を表示しないナビタイムのスケジュールを過信し、間違った電車にのった。電車にのっている間、練習に集中しすぎて、駅を降り損なった。あまり時間が十分になかったが、体を洗わず内定式に参加するのはよくないと思い、ネカフェに行った。後先のことを考えず、「とりあえずシャワーだけ浴びたいので」と店員にいい、キャリーバックを開ける十分なスペースがないところを最初は選択をしてしまった。シャワーをゆっくりあびた。ネカフェから出る時、ひらくPCバックを店内に忘れてしまった。取りに行って会社に戻る時、携帯を忘れてしまっていたことにきがついた。

遅刻して内定式に参加すると皆スーツを着ていた。「ジャッケっト着用」とあって若干の違和感を覚えたにもかかわらず確認をとっていなかった。違和感に敏感になれなくてあれだけ反省したのに、、、それを引きずって、内定式は聞くことに集中できなかった。自己紹介では、練習したものが完璧なものにならなくて不安があり、その前の社長の話に「感」が大事だいう話が僕の不安を後押しして、結局自己紹介は用意していたものではなくよくわからないその時にアドリブでつくったものになった。きちんとアドリブでも話すことができればそれでよかったが、話すことができなかった。ここはどっちもどっちかなぁ。ただ、コンテンツが複雑かつ詰まりすぎていて、非現実的だということは薄々分かっていたにもかかわらず、本番は話すスピードがゆっくりになってしまうということを把握していたにもかかわらず、内容があまりにも自分的にいいものだったので、変更ができなかった(執着)。自己紹介のミスをその後も引きずり続けた。一度ミスがあった時、切替えができず、ずっと引きづり続けることは会社での仕事に影響が出るので、本当になんとかしたい。心から後ろめたく恥ずかしく思わならければならないが、その思いに誠実に向き合えば、次の瞬間の結果で返さなければならないと思えるはず。真剣に誠実に自分のミスに向き合い、周りと自分のことを考え、適切な行動選択を行う。ここを徹底する。この会社は自分のありのままでいれるから思わず、自己中になってしまうが、、、ありのまままというのは利他の上に成り立つものであるから、周りの空気もしかと読むようにしたい。

飲み会では自然にふるまった (調子にのった) 。結果的にウケたのでよかったが、突っ走り過ぎた感はある。

 

雑記

家でノロノロやるよりも外に出て人の目にさらされる場にて自己表現を行うということ、緊張する場に出るということ、を何度か繰り返すと、やはり反省の質、量が変わってくる。現在の僕は知識や思考を蓄え、真理なるものの探求に勤しんでいるが、まず第一は修己なので、実践の場に身を投げ出す機会を、その場に興味があまりなくとも、意識的に増やしたほうがいい。ゲームにしてわかったが、身を以て経験したことは実感を強く伴って体に定着するので、煩わしさや不安はあるが、頑張ろう。

 

10月6日 (ADHDのけが出過ぎ始めている)

◯友人宅にてそこそこ気を遣えた。夜中完成した企画案を夜中に共有しなかった。

△待ち合わせ時間のギリギリまで待ち合わせ時間で披露する予定の企画案を考えていて遅刻した。慣れない東京だから余裕を持って行動することを覚えて。飲み会で少し話しすぎた。ありのままでいいとはいえども他人への配慮を。名前やその人の生まれなどを覚えようとする気概がない。飲み会中の内定者のラインに返すことができなかった。

どの電車に乗るかの選択が早計だった。服を新ちゃん宅に忘れてしまった。

*精神が興奮状態のときに、一つのことしか見れなくなる。アラームをかけるなどして、定期的に一息落ち着く時を生活の中に設けるとよい。30分おきに自身を俯瞰する時間を。

 

ストラテラ処方録③(安定した状態)

期間E 10月1日 うまくいっていた勢いがなくなりつつあることを実感→通常期

ハムレットを借りた。カウンセリングに余裕を持って行けた。朝早く起きれた。自分のよりよい生き方の指標をまた一つ増やすことができた。社長のブログを見て思想を染み込ませた。休日の課題をしていないことにきちんと向き合えた。その上で、自分の無理して失敗し落胆する性格を見通して、無理のない計画を立てることができた。本を読めた。薬を忘れずに飲めた。自分が朝の瞑想や習字に向き合えないことにきちんと向き合い、きちんと言語化できた。自分が共感が苦手なことにもきちんと向き合えた。

△研究室にて無気力になりそうだった。危ない。しかし、すぐにそれを察知して、睡眠をとった。学部からの電話があって、研究活動にすぐ取り掛かったが、電話がなくても大丈夫だっただろう。 ツイッターを衝動的に使用しすぎた。寝るときに、携帯画面を眺めすぎる癖が徐々に復活しつつあるので、この辺で因習を断ち切る。

 

*日々、良き習慣を体に染み込ませること。そして、自分を褒め、それを他人にも聞いてもらう。さすれば、栄養をもらえるし、他人も栄養がもらえる。

 

10月2日 

◯病院に間に合った。先生に今後の研究方針について相談できた。明日の採取の準備をつらいと感じていながらも、ストレス解消のチョコを買うなどの工夫をして達成できた。家に帰って、一度目を背けていた家の管理の件について向き合おうとしたが、自分の無理しすぎるとよくない側面を冷静に考慮し、ハムレットをみる決意をすることができた。自分の利己的な一側面に着目することができた。厳しく物事を考えることができた。

△病院カードを忘れた。朝、読書に集中できず物思いに耽ることだけに集中していた。内容は、ADHDの真偽と今後の家の件とそれに伴う今後の大学生活におけるコミュニティーの形成について。生産的な想像であれば今現在確かにその内容について記憶に残っているはず。プリンターに自分の印刷したプリントを起き忘れた。後輩に空港会社の安さをしたときに、確か目もせず情報を提供しようとした。内定式があるのを忘れていた。

10月3日

◯寝るのが遅かった割には早く起きた。5時間睡眠に体が変わったみたいだ。朝早く苔の採取に行けた。研究室に帰って比較的早めに乾燥機にかけることができた。苔を採取している途中アイデアをひらめいた。だるさデットラインを超えたにもかかわらず音楽で持ち直した。ハムレット観れた。

△苔の採取は1箇所採取し忘れ、もう一箇所は通り過ぎて後戻りした。原因は不注意。 何度も採取したサンプル数を数えていた(ワーキングメモリ)。閃いたアイデアに意識が奪われっぱなしだった。家に帰ったら体の疲れもあってだるさがきて、超えるとだるさが増して何も出来なくなるデットラインを超えた。映画の後、だるさがやってきてtwitterに過度に縛られた。内定式に対して意識がいかなかった。

 

朝の瞑想や書道の必要性

座禅をどうして組むのか、というのにはきちんとはわからない。

ネットによると、自己が真の自己になることができるという。雑念が晴れることで、本来無一物に、何もないところに「真の自己」を発見できるという。

そのことで、心身ともに健康になり、安らぎを得、人間力が溢れ出るという。

 

一度、自分の経験をしたところからいうと、不思議な感覚になるのは確かである。

自と全の境界がなくなるように、無あるいは全を意識することでふわっとし安らぐ。

目に見える物と物の間が曖昧になるような意識が持てているような感じになろうとなれる。

その後、異様にスッキリする。そして、無になった頭の中に多くの考え事が流れ込んでくるのがわかる。それが実感できるので、頭がいつもより働いているかのように感じる。もしかすると本当に働いているのかもしれない。

 

なぜ、習字をするのか、きちんとわからない。

マインドフルネスの効果があるようだ。「ストレス軽減」「集中力アップ」「自律神経回復」といったことが期待されるらしい。

また自分の字を見ることで、自分の心を視覚的に把握できる。自分の心の状態が現れる。そして、これまで歴史を紡いできて、多少なりとも本質的な意味が込められた「字」と、そしてその「字」に込められた思想と向き合うことができる。

いつも、模写する対象は中国古典だ。中国古典は宇宙である。毎日、少しの時間でも古典と向き合うことによって、その世界に近づける。そういう意味で勉強になる。

さらにいうなら、字も丁寧にかけるようにある。字が綺麗な人は信頼される。

 

ただ、それだけでは、落ち着いて座禅が、習字ができない。なぜなら、昔の一寸も「無駄に」したくないという雑念がよぎり、何か考え事をしてしまうからだ。昔から、いざ勉強しようとしても真に集中できないくせに、友達と近未来「遊ぶ」ことが決定したとたんにその遊ぶ時間を設けたことを悔い始める。その時間に猛烈に勉強したいと思い、さらに遊びにいく前にその時間分を埋め合わせるため極度の集中状態で勉強したものだ。

 

「損得」や「生産性」などとそういう資本主義的な考え方から脱却しない限り、そういう今の自分からすれば一見「無意味」に「感じる」ことには没頭できない。上記のように、それぞれの「メリット」を挙げ比べるような視座だと、このようなことのみならず、今後も友人との遊びや恋人とのデートにはその場に没頭できないだろう。

 

自分は「意味」や「無意味に感じること」について、きちんと自分の言葉で解釈をしておかなければならない。

 

人生は「負けない」ために歩むものなのか。確かに「負けない」ことも大切だ。競争社会の中で、何か仮に「負けない」以外の目的を定めることができたとしても、負けてしまえば最悪の場合死ぬ。つまり、娑婆で生きている限り、最低限「負けない」自分である必要がある。しかし、実の所、日本に生きている限り、バイトでなんとか命は繋いでいける。海外に行く勇気もあり、英語も少しは喋れるから、なんとか生きれる自信はある。だから、僕の「負けない」というのは「死なない」ためではなく、ただ「惨めな思い」をしたくないから、「意味」というものを「負けないため」という文脈で考えてしまうのだ。整理すれば、僕の中の世界では「負ける」ことは「惨め」であり、とてもその事実は重要なのだ。

そういう世界観の中で生きてきた以上、そういう風な実感を拭い去る事は簡単にはできないだろう。なぜならそういう風に教育されてきたからだ。勉強、スポーツ、習い事、どれも賞や順位が準備されていて、それが故に「劣」があった。「劣」だとみなされるといじめられやすく「辛い」ことがわかっていた。また、友人も「劣」より「優」の人と付き合っていて、「優」であることがどれほど素晴らしいか体感していた。そういうこともあって、「劣」にならないために、というのは暗に伏せられながらも十分に伝わった形で、「劣」にならないために「成長」というものを輝かしいものとして先輩たちは僕らの前に掲げてきた。「負ける」というのは「劣っている」ということであるから「惨め」なのだ。

しかし、果たして「劣」から抜け出す事が出来た時、僕の世界に見えるのはなんだろうか。いや、問いが少し異なる。「惨めに」感じないことが最も大切なのに、その娑婆の世界の物差しでずっと自分を計られながら「劣」へと転げ落ちてしまう恐怖と常に戦い続けることは良い方策なのだろうか。また同時に安心のできる地位にありつけたとしても、それが本当に「心から」安らぎ納得のできる自分の姿なのだろうか。

仮に安心のできる地位にありつけたとしても、何かしらの病気や事故などの可能性はずっとある。その可能性がある限り、自分の身の回りには「劣」へと転がり落ちることができる崖があり続ける。だから永遠に心から安らぐことはない。自分が欲しいのは心からの「安らぎ」である。どんなに自分が変わっても、周りから愛され続けるような安心できる環境である。だから「劣」という概念そのものがあって欲しくない。そういう世界を心から望んでいる。だから、「惨めに」感じないこと、きちんと言い換えれば「心からの安らぎ」を得るには、どんなに変わっても愛され続ける世界を望む。「劣」だとみなされていた部分が、「クール」か「ホット」のように、ただ方向性が異なるだけで優劣のつけられない価値として位置づけられることである。

そういう考え方になるには多大な不安がつきまとう。自分がずっと執着していた「当たり前」を支えていた基盤、根幹を疑うということだからだ。まずこのことだけでも、一度、秩序なき不安定な状態になって大変だ。すぐに競争概念から逸脱した価値体系に馴染むことができればいいが、そういう価値体系の中で生きたことがない以上、価値体系の移行はとても難しそうに感じる。また、不安定な状態の間、自分は過去の価値体系の中における最も自分の位置したくない所にいきついて悔いることになるかもしれないと大きな不安を感じる。こう考えると、競争概念が基盤となった価値体系の中では、その競争概念を逸脱した新しい価値体系に身を置くということは非常にリスキーなことのように感じる。

だからこそ、慣れさせる必要がある。少しずつ、競争概念を更新した価値体系に慣れるには、まずその価値体系の中で「劣」としていた価値を疑わずに身を置いて、十分に味わってみることは一つの手である。そうすることで、競争概念のない世界の一端を感じることで、その世界に「親しみ」を感じることができるはずだ。「親しみ」を感じることができれば、そうしないことよりも簡単に移行できるかもしれない。座禅や習字などの一見無駄に感じることは、は自分の心から望んでいる世界への移住権を獲得するために必要な手続きである可能性が高い。

 

 

やる気が出るとき。集中できる時。

とき

・カレンダーをみて、その週に自分が評価されるイベントが用意されている時。友人と会う。久々の人と会う。知らない人と会う。等々。

・バイトなどの生産性が求められている期間においてうまれたスキマ時間

・朝早く起きてから作業が途切れるまで。途切れなければどこまでも。覚醒状態に。

・瞑想後流れるように作業に入れば

 ・寝たら起きてすぐの行動ですべき嫌なことと向き合うと上手くいく

 

ばしょ

・空港の中や電車の中などの移動時。国内旅行における飛行機の中は無理。車、タクシー、電車、は読書に集中できる。バスは読書は眠くなるが、携帯やパソコン作業は捗る。一人でもいける。

・人にみられている環境。学校内のベンチやシェアハウス内においてリビングに人がいる時。

 

気候

・雨の時はやる気でない。

・太陽の当たっている時、日の当たる「気持ちのいい」場所

 

その他条件

・ブログやツイッター等「みられる」箇所にアウトプットすることを決めている時

・面倒なことはいくら大きな報酬があってもやる気がでない。基本「おもしろい」と感じなければ動かない。ただ、面倒なことをする前に勢いがあったら、うまいこと色んなタスクを効率良く解消することができていて自尊心が高まっていた場合、取り掛かることができる。ただし、勢いは徐々に収まっていくので早急にそれを終わらせることが重要。

・「面倒」だと一度感じたら、再度すぐにそれにとりかかることは難しい。その「面倒」だと感じた感情が忘れるタイミング、ほとんどの場合は次の日だが、その時にまた取り掛かる。

・人に宣言をした時は、少し取り掛かりやすい

・決めたタスクを消化できなかった場合、へこんでしまってその後の生活が堕落する。逆に、簡単だと思うタスクよりもまた少し簡単だと思う超平易なタスクだと感じるタスクを自分に課して、それすらも自分が達成できるかわからないと謙虚に構えて、その上でタスクを消化できた場合、勢いに乗ることができる。

・音楽を流して、作業を始め、音楽が邪魔に感じて、音楽を切った時、覚醒スイッチが入っている。

・歩きながら作業すると集中力が異常に続く。

・川べりで足を川につけていると集中できる。

・音楽は「何もやる気しねぇ」のような歌ってしまう音楽を聴きながら作業にはいると、逆にやる気がでちゃうことがある。

・食物を食べながらだと集中状態までは難しいが、弱集中状態で作業が進む。

・ソファーの上より机の上の方が作業が正確になる。読書は向かない。

・集中力増す系の音楽を聴きながら勉強すると、ある頻度を超えた時から一気にそれを聞くと眠くなった。

・一度、集中状態に入った環境に身を置くと力がみなぎる。逆に、その場所で一度失敗すると、その「集中プレイス」を台無しにする。例えば、飛行機内と高速バス内とかその最たる例。場所にそれぞれ役割を課す。

・いつもよりかっこいい自分でいる時

コンサータを飲んだ時、プラシーボが働く

・内容がこれまでの常識を覆しかねない内容の時

・ストレス軽減のチョコを食べると捗る。

・遊びにいく前。遊ぶ前

・議論をしながらの時

 ・やる気でない時、屋上にいって綺麗な秋の夕日をみたら、すっきりして気分があがってきた

・何もやる気しねぇをきくと、もがもがみたいな、あがいている感じがなくなって立ち上がることができる

・食生活で自分を蔑ろにしたような気持ちになると支障をきたす。

 

昔の状態

・うまくいかない期間が続いてそこに対してのフラストレーションが溜まっている時、爆発的に頑張ることがあった。

・人よりも効率の良い方法をとって勉強をしている自覚があった時(優越感に浸りながらの時)→ex ①歴史の漫画を見ながらの勉強。実験感覚で楽しかった ②安河内先生による英語の学習 ③数学の授業が遅いからということで自分で先に学習を進めていた時。

 

仮説

・運動の最中や運動の直後は集中できるのかも

 

 

 まとめ

・純粋にすべきことをする!と思ってしまう意識が出来上がったの推進力でいける

・コンテンツ自体の吸引力がすごい時にいける

・ブーストとなるような特別な儀式の強い意識をもった導入、連続導入でいける。

・別の魅力的な目的達成のための手段と化したした時いける。

 

要は「非日常?」

 

やる気が出なくなる時。

・一度、やらねばだけどやりたくないと思って強い葛藤を覚えたら一人だと大体アウト

・夜はだめだね。

・寝すぎるとだめ

・ゲームをしすぎて完成の法則が働いている時

 

時々頭をよぎる副業について

副業をして小遣い程度にお金を稼ぐためにつかう時間があれば、本を読んだりスキルを身につけたりして自分の中身を磨いたほうがマシだ。

しかし、金がなくなるとどうしても一発逆転のビジネスについて考え込んでしまうので、その際に言い聞かせることを決めておけば、効率的に頭をぐるぐるできるかもしれない。

 

1.今、できる不動産の使い道を考えるのが一番だ。

2.これまでビジネスアイデアをいろいろ考えてきたが、どれも後から見直せば主観のかなり入ったものであった。

3.常に繊細になって代替案を考えるような生活をしていれば自然とビジネスアイデアは出てくる。

4.「楽」に稼ごうとした時点で、そのアイデアはアイデアとしての斬新さを失っている。

5.考えたものはメモれ。

 

ということで、これまでふと思いついたものを列挙

・携帯ゲームアプリと連携させたゲームのやりすぎ注意アラーム

→中毒者にとっている

・アルコール飲み比べイベント

→費用対効果

・傘レンタル

→社会人には向かず

・ゲーム家庭教師

→教える内容の需要と良心

・早すぎる就活

→やってる

・モチベーションパートナー

→経歴がなければ怪しいだけ

・ブロガー

→卓越した日本語センスを習得が必要。金にもならず

・You-Tuber

→あり

ストラテラ処方録②(意識が不安定になりはじめる)

期間C 目的を終え、家に帰るまでの気が抜けはじめる期間 9月25日~9月26日

◯本を5時から10時まで集中して読めた。理路整然と話ができた。お酒を結構飲めた。

家に帰ってすぐ洗い物ができた。家に帰ってすぐ食器を洗った。家に帰ってすぐ光熱費の整理をした。お腹の不快感がなくなった。

 

×空港のチケットをなくした。友人に間違った集合時間を伝えた。友人と食事に行く時に荷物の置き場所を選ぶことに躊躇した。スーツケースをバスに忘れた。

 

△本を読む気概が減った。

 

期間D 喫緊の目標を終え、日常に帰ったことを自覚する時期。9月27日-9月29日

27日 薬の飲み忘れで朝早く起きれなかった時

◯ 掃除した。布団を片面だけ干した。光熱費を支払った。少し読書できた。安い食材を買いに行った。領収書を共有した。(後日、領収書の共有し忘れがあることに気がつく)ラインの連絡をこまめに行った。

× You-Tubeを長い時間見た。堕落傾向。

 

28日 朝早く起きれた時。

 ◯ 5:30に起床。書道マインドフルネスの再開。今後の計画立て。読書。研究活動。風呂とトイレと自分の部屋の掃除。音楽を聴く余裕。勉強のためのYou-Tube。料理した

× 後輩からの連絡に対する返しが少しだけ遅かった。

 

29日(土)  雨の日

◯ HDDについて調べた。複雑な事務作業について調べた。目標は達成できなかったが読書した。部屋をほとんど綺麗にした。料理をした。待ち合わせ時間に予定通りにいけた。

× 鍵を作りにいくのを忘れた。就職先の給料に不安になってから、18時から副業のことで頭がずっといっぱいだった。

 

30日(日) 雨の日

メモ:ストラテラは服用は2年までで、それまでに習慣化させるのが大切らしい。だから、一つ一つ自分の生活を秩序化させる。

 

○ 所有権移転の調べ物。読書。鍵の購入。早起き。貸した金の確認。今後の自分のための生産性のあるブログ。

× 競争概念に関しての考え事にふけてた。ずっと。笑 所有権移転についての調べ物は、進んだが中途半端なまま。まぁ、自分にとってはあれくらいがいいのかな。初めてで複雑なことは難しい。夜は全然やる気が出ない。

 所有権移転→手数料と税金の比較。税金は以前の資料から。手数料は手間とそれにかかる費用を調べることでいけそう。