自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

すとらテラ処方録 22 修論提出まであと10日

 

 1月20日福岡から帰ってきた。

○やるべき所まで終えて、家族で稲佐山に苔を採取しにいった。どこのpointから苔を採取するのか、把握することができず、かなりの手間ひまと時間がかかった。めちゃめちゃストレスがかかった。その後、ジョリーパスタにランチをしたが、美味しく食べることができなかった。家族が帰って、疲れ果てて家に帰って、その日につくるで、映画鑑賞会があることに気がついた。疲れていたので、最初は行くまいとしていたが、気分があまりにも落ち込んでいたので、結局いった。いい映画を見て、そのあと語った。理性的な動機から喋るのではなく、衝動的な動機から喋っていたので反省しようと思った。それがおわったら、車で送ってもらった。車の中でのおしゃべりがうまくいかなかった。空中戦だった。あんなときは、わかりにくいことを喋るのではなく、身近なことを喋れば良かった。哲学は本題ではなく、おまけ感覚に。相手と時間と場所を考えた内容を選べなかった。そうして、家に帰って、興奮がずっと続いていた。このときの時間は12時に近かった。早めに寝ようとしたが、なかなか寝付けなかった。座禅したり、youtubeみたり、色々やって気がついたら2時に。 

△ 理性的な動機から喋るようにすること。また、疲れ果てた時、ストレス過多時は、なんにも考えられなくなる。さらに、ストレス過多の状態から離れた次の日も思い出してストレス過多になりたくないので、その状態の時の工夫の仕方を考えるインセンティブが落ちる。だから、今のような、ちょうど3日後立った日などのに、「できない」が多く「みじめ」になり、「やけくそ」で「自暴自棄」になる前に、どういう解釈を自分でやるのか、ということを考えておいた方がいい。そこで、考えてみる。

思考停止になるのは、思考してしまうと、自分がダメなことに直面してしまって、苦しいからである。これは、前日や一昨日の記憶と比べてしまうからと、それよりももっと考えなければいけないのは、周囲の他人と比べてできないということに直面することである。周りの人はできるのに自分だけできないというのは明らかな事実で、これを覆すことはできない。だから、解釈は、これを認めた上で、どうするか、という方向がいい。で、今考えたのは、

第一に毎日、自分が他人と比べると必ず出来ないことがあるんだということを自覚し、その「足らない」「できない」状態になれておくこと。自分は必ず、なにかを忘れ、ミスをし、誤解をする、嘘の記憶を捏造する人間であるということを自覚しておくのだ。

第二に、常に自分のできることで貢献をしておき、合計のプラマイでプラスの状態をつくっておくこと。ここで、なぜ+かというと、これは、22日にツイッターで投稿した、リレーのことを思い出すといい。自分の番では自分は8秒で走るので、明らかにチームの足を引っ張るのである。この時、自分がチームから2秒足を引っ張っていて、裏方で2秒貢献できていたとしても、裏方の貢献はわかりにくいので、感覚としては、自分はどちらかと言えば足を引っ張る部類に属することになる。だから、分かりにくい貢献に関しては、プラマイゼロで貢献するのではなく、仮に迷惑をかける場面があっても、誰もが、心から許してしまうくらいの、「いつもお世話になっていて、本当に助かっているのだから」と自分が迷惑をかけているのを目にした時に、感謝をしてしまうくらいの貢献をしておかなくてはならない。他の人は、自分の苦手なこと、好きじゃないこともしているのにも関わらず、自分だけが、好きなこと、得意なことができるというのは、他人から見たとき、不公平に感じる。だから、まさに「圧倒的」に自分の得意分野で貢献をしておかなければならないのである。そういうことができている自負があれば、仮に今回のように、どこで採取をしたか忘れたり、思い出すのに時間がかかったりした時に、感じる申し訳なさは少しは減るだろう。「お互い様」と自分の心の中で念じて。

第三に、とはいっても、明らかな他人へのダメージや自分の評価ダウンに負い目を感じたりするので、自分がストレス過多になるとダメになることを事前に伝えておき、重なったら、脳の処理スピードが落ちる前に、休憩をもらうのだ。休憩をもらっておいて、ネガティブなだけの解釈を捨て、現実を直視し、いつもの自分の心理を実際的な処置ができる状態にするような工夫のある解釈を施し、正常な状態に近いところまえ持っていく。こういう時はスピードを少し落としてもらう。相手は少し、イライラするかもしれないが、自分は「不快感の無い状態」をつくるのはできないので、「どの不快感で我慢をしてもらうか」を基準に考えていく。こうすることで、期待と現実のギャップを埋めることができ、自分も相手も最小限のストレスで抑えることができる。もう一度言う。「どの不快感、どの印象ダウンで、相手が、自分が、我慢するか」を選択することが大事なのである。

 

以上、恥ずかしかったり負い目を感じたときのメンタルのつくり方は確認ができた。

次に確認すべきは、今回の稲佐山事件で起きた記憶障害や動作生IQの低さにどう処置を施していくかという話だ。ここは、できるだけ「ゆっくり」するしかない。落ち着いて、もういらない」と思ったら、あと一回確認をするのである。企画と一緒で確認を「もう十分だ」と思ってから、後一回する。過去を振り返れば、こういうものは必ず、必ず、どこか不備があるので、その過去のことを何度も振り返って、くだらないと思わず、何度も丁寧に確認をする。これは、少し大変なことなので、日々意識的にやらなければいけない。母親が何度も馬鹿らしい程に確認をするように、自分も馬鹿らしい程に、何度も時間をかけて、丁寧に、非効率に確認をするのだ。これを何度もやっていくしかない。

1月21日寝れなかった日

○前日のせいで遅くにおきた。8時くらいに起きている。この日は全くツイッターをしていない。朝早くに学校に行って、修論の内容をよく確認して提出した。その後、楽天を支払おうとしたが、お金の足りないことに気がつき、お金の工面についてずっと考えていた。すると気がついたらカウンセリングの予約をすっ飛ばしていた。30分程遅れてカウンセリングを受けにいった。カウンセリング後は、消費者金融に連絡をした。夜遅くになっていて、家に帰った。前日の精神的な疲れが残っていて、嫌な、メタになれておらず、不幸な感じで一日が終わった.

△ 1つのことに夢中になったら大変だ。毎日の予定とメモを見直す習慣をつけたほうがいいのだろうか。現実逃避でもあるが、先のことをあまり考えず、ただ、夢日記や日向ぼっこをしているときは、多幸感に溢れている。先のことを考えた時、その先のことが希望があまりないからなのだが、笑、苦しくなる。今の多幸感は、畢竟、現実逃避からきているものであり、ゲーム中毒の状態と実は、なんら変わりない。仏教的に今ここに集中する時間と、世俗的に未来に思いを馳せる時間を分けて、なめらかに移動したい。

さて、ところで、自分の未来に希望はないのだろうか。確かに、昔望んだものとは異なるが、今の生活を送ることができることを考えると、希望があるかどうかはわからないが、特に問題はあまり感じない。結婚が難しいのと親への申し訳なさがあるが、この生活の延長に仕事をつくれるので、現段階では特に自分は苦労を感じない。それよりも、内定先で自分がうまくやれるかという不安が大きい。また、未来については、今もだが、修論について見通しがつかず、ついてもうまくいかないことが予見されるので、不安がいっぱいだ。今後、自分は、このように通常のレースは速くは走れないのだから、ずっとこういう風になっていくだろう。しかし、淡々と毎日を誠実に過ごしていくしか明日の不安は晴れない。未来の不安は当たり前で、それを自分だから仕方の無いことだと認めた上で、実際的な工夫を施して対処していく。そうして、毎日に命を使い切っていくのだ。毎日がより蓄積的に、どこかに繋がるように、納得のいくようにするには、感性の向きに従うのもいいが、未来から考えて毎日を考えていくのもありである。こうすることで、例えば、今の会社であれば、エクセル技術やメール文のストック、プログラミングへのモチベーションもわいてくるし、その会社は自分の中では納得のいく選択肢であるので、毎日が際立っていく節もある。未来と今をバランスすることで、よりよい毎日がつくられるのではなかろうか。

そして、もう1つ忘れてはならないのが、恋愛やセックスに対して経験が乏しいことである。ここがかなり大事で、定期的に考えてしまう。淫らな生活に憧れた。しかし、これまで何度合コンをし、福岡でナンパをしようとし、出会い系サイトに登録したことか、、、出会い系に関してはビッチと出会ったけれど縁を切ってしまった。友人についてもそうである。自分は、そういう人になろうとずっと考えて8年間過ごして来たが、一度だって、そういう風にはなれなかった。これは、自分のADHDと同じで、淫らなことができない病気なのである。度胸がなく、傷つきたくなく、綺麗でいたいというような病気である。お金を払った分かりやすいwin-winな関係を築かない限りにおいて無理である。相手が、それを望んでいたとしてもそれを確信することができないので無理である。故に、恋愛ができない病気だと割り切って、もし、それを処方してくれそうな積極的な女性に会えば、やってみてもいいのである。さらに、恋愛をすると、自分の時間とお金がそこに費やされるので、非合理である。これを考えるに、入社後すぐは恋愛をしない方がいい。みんなはするが、自分がすると、自分が苦しむ。自分は、最初の方では、すぐに適応するのが苦手なので、最初は、会社の原理原則の習得に時間をかけるのである。性欲のはけ口は、これまで通り、自慰で対処していくしかない。恋愛のできない病気だから仕方が無いのである。

 

 

1月22日 結構ダメだった日。

○早めに起きて、学校に。学校で、毎日のことをやろうと思ったがなかなか手がつかず。朝、病院に行く予定があったが、直前で寝てしまって遅れていった。終わった後、学校に戻る。その後、現実逃避のためにyoutubeや漫画にはまった。気がついたら19時になっていた。結局ブログも何もできなかった。住民票を提出しようと郵便局にいったら、住民票を持っていき忘れていた.あと、昨日、一昨日は呟けなかったが、今日はがっつり呟いた。

△必ずyoutubeや漫画にはまるときは、アラームをつけること。あと、数分やる」という感覚は必ずわすれてはいけない。まぁ、こんな日もあるだろう。

△ 初心に返ろう。毎日が蓄積。今が一番素晴らしい。波に載せられるな。波に乗れ。もはや波をつくれ。今は、波の落ちる所。之に乗れ。大切なのは、常に反省、常に工夫。それを繰り返すことで、よりよい反省や工夫の仕方を模索すること。だから、必要なのは、反省の反省、工夫の工夫である。この次元を意識しながら、毎日を過ごすことこのための、心理学がある。毎日の自分の成長を褒めてあげること。褒めて挙げる、というより、自分の成長した部分に目を向けるように言語化してあげること。自分は等速直線運動のように成長をするわけではない。階段のように、ポケモンのように、ある程度の経験値がたまったら、ぐんとある時、伸びる。だから、焦らず、目には見えないけれど、ずっと自分は成長をしている。色々身に付けたら、幸せになるのではない。まず、幸せになってから、色々な適切なものが勝手に身に付いていくものである。だから、身近な太陽の光や自然の声等に耳を傾けて、自分が幸せになってあげる。そうして、内に集中することで、自分が損なわれないように、自分を見つけて、声を聞いてあげる。優しくいたわってあげる。乱れに敏感になれ。小を大として、事とせよ。小さなずれや漏れに気づき、言語化し、存在を認めてあげ、仲良く手を結び、足を地につけながら、共に前に向かって歩んであげよう。とらわれるな、捉えよ。逃げてもいい。だが、仲良くしてあげるとより一層、楽。焦らなくて良い。丁寧に集中して、毎日を過ごしてあげよう。主と副が逆になったら自分が来るしい。主を自分の幸福。副を別の何かと定義して、生活しよう。自分が仕事をしたくない気持ちになっているのは、今が楽で、心地がいいから。これは間違いない、が、内圧と外圧の調整をするのがバランス。外圧としての親への孝行、世間体、そして、単に仕事ができるようになること。これらが、きちんとできるようにならない限り、未来がわからない。今ここ」に生きることが仏教的にはすばらしい。ただ、今ここ」に集中するには、周りがそうである環境が必要で、自分の周りはそうではないし、どこにいってもそうではないので、少なからず意識せざるをえない。だから、未来についてのある程度の安心な見通しがついていれば、今ここ」にも集中ができるし、その意味で、会社に行った先のことを考えてみれば、これまでの経験から、住めば都になるのであって、東京にいけば東京ならではの良さに浸り、なれていくのだろうし、その世界に浸れば考え方も変わるかもしれないし、また別の経験を蓄積することもできるし、ここにいてもいいが、実際gcの方が若いうちは高いお金をもらえるし、だから言っても良い。忘れちゃ行かんのは時間感覚がぶっこわれているということで、もしかりにここにずっといても、いいけど、この世界の中だけで完結して、少し度が過ぎていて、他の可能性を閉ざしてしまう。

てか、なんだろう。ぶれがある。落合の昔のツイッター見てから、恋愛しなくちゃと影響を受けた.んで、シェアハウスにいて、恋愛ができるかと思ったけど、少しよく考えれば、仕事し始めたら、僕の場合は、お金の使い道は仕事の生産性を最適化する方にお金を使うだろうし、借金もあって返さないといけないし、もし仮に付き合ったとしてもお金がなくて、よくデートにもいけなくて、ちゃんと恋愛に集中できないだろうから、28になってから、まだgCにいれば

の話だけど、仕事が上手く生き始めて、ある程度の、政治/経済/社会/文化/心理/教育/仏教/解釈学/と多角的にみれるようになってから、遅めだけど恋愛に集中し始めたい

 

1月23日  自然に生活した

○ 6時頃に起床。今日は家でやろうと思った。2日分の記録がたまっていたので、それらを入念に記録した。家入さんの図書を読んだ。気がついたら昼を過ぎていて、学校に行き、住民票を提出してきた。その後はHIT。200のアイデアを考えて、その後、疲れた。料理をつくって、考えたアイデアをパソコンに書き出して、風呂に入ろうと思ったが、タイミングがかぶったので、寝る時間が遅くなり11時30頃に入眠。

△ 家だとやる気がでるようだ。太陽光に当たるか否かは結構自分のエネルギー源の程度に関わってくる。会社では、そんなことも考える暇がないだろうから、この理が応用できるかはわからないが。まぁ、いい日だったように思う。

 

1月24日緩やかに過ごした日ver2

○ 朝から昼までは緩やかに過ごしていた。リディラバの記事をみた。夕方から研究室にいって、先生方に印鑑を押してもらいにいった。間に合わず、やる気も出なかったので、家に帰ろうとしたら、立て看板が目についた。おしゃれをして憲法9条のいかがわしい講演会にいった。帰って来て、住民とわいわい話して、若干疲れていたので、すぐに寝た。

△ 朝から昼までの記憶が弱い。あ、そうそう、寝たんだった。長い昼寝をしてしまったんだ。やる気があったけど。日光が気持ちよかった。だからね。

 

1月25日 修論結構やれた

○ 3時に起床8時くらいまで修論と睡眠についての勉強。11時くらいまで学校。先生を待っている間は、健康の本を読破。11-12時まで睡眠。睡眠後、学校。睡眠のことを勉強して、やる気でず。家に帰って、すき焼きつくって、睡眠。

△ 毎日のルーティンをし忘れた.瞑想だけやったかな。完全に忘れてた.やはり睡眠不足による脳の機能ダウンはあるようだ。普通は忘れない。睡眠は取った方がよさそう。あと、パソコンが壊れたが、このパソコンや他のHDDは自分のおっちょこちょいの戒めとしていつも見える所に置いておこうと思う。慎重に行動するためのお守りだ。

 

1月26日 本を良く読んだ。

○ 5時起床。毎日の習慣を終えた後、複数本をダウンロードし、心理学の本を読む。一冊読み終えた後、会社の人を覚える為にアプリに準備。何かやるべきことをやろうとしたが、気分が乗らず、どうしても三島の不道徳教室を読みたくなった。そして、失敗の本質を片手に歩いて向かう。むしゃくしゃして、途中コンビニでおにぎりをかった。歩いてみると、色々と客観的に前向きに考えが進んでくれる気がするのでメンタル的によい。到着したが、自分の格好や書店の前の前書きをみて、尻込みして帰って来た。ただ、本は買いたかったので、ココウォークに電話した所、なかった。それから、心理学の本を携帯で二冊目読破。三冊目の途中まで、料理やゲームの住民がしている所をみながら読んだ。あ、そうだ、家に帰ってから本を読むまでに睡眠不足による脳疲労が感じられたので、1時間弱の睡眠をとった。そうして、結構に頭が明晰になった。

△ 今日の反省は、実は、合計で7時間くらい、ノンレム睡眠を十分にとった形の睡眠をとった上で、書いているのだが、やったことが意識的で明白であったおかげであるのか、よくスムーズにかけた。睡眠は長い方がいいのかもしれないと仮説を立てておく。

気分転換の仕方は素晴らしかった。あと、本屋の前で立ち止まったのは、自分の人生を変えかねない程の経験だったように思う。これから、身だしなみとして、洗練された空間にいった時のためのマナーを積極的に身につけていこうと思う。一流を味わうには自分も同じステージに立たなければならない。

電車の中で打とうとしていた。電車の中の眠りは非効率なので、やめよう。もしそうなったら、立つようにしよう。というか、電車の中では作業をしない限り、立つ習慣をつけた方が健康的なのかもしれない。

 

1月27日 心理学と古事記を勉強した日。

○ 早起き。諸々やって、心理学の読書とまとめ。それから漫画版の古事記を読んだ。頭が痛くなって、途中で仮眠。料理をして、きつかったので寝る間際はゆっくり白湯を飲んで、座禅を組んで、消化をまって、つぼも押して、睡眠。あと、バイトの申し込みを行なって、親とも電話をした。誕生日についての論考もした。

△ 頭が痛く、次の日はなおっていたので、たんなる目の使い過ぎだと思う。気にすればする程、体調がわるくなっていくのを感じた。こういう時は、寧ろ熱を測った方がいいのかもしれない。又、バイトがADHDを理由に拒否された。

 

1月28日 財布と親からの電話で精神的にめっさ疲れた

○ 頭が痛かったので6時間ちょっと寝た。起きて、毎日の習慣の後に、古事記の勉強の提案や心理学のまとめを完了した。それから、あまり建設的には時間を過ごせてない。10時からのゴールデンタイムはゲームで過ごしてしまって、それでリズムを壊し、一旦仮眠、その後、twitterし、母からの電話があった。お金についてで、結構な体力をつかった。そして体力が少し奪われた後、カウンセリングに少し時間が遅れていって、その後、財布が無くなったことに気がついて、探していた。財布を捨てたかと勘違いして、とてもストレスがかかった。それから、ぼーっとタイムラインを見て、料理をして、最後に、漫画古事記を再読して、睡眠。睡眠は早く取れず、変な動画をみていた。あと、この日はかなり噛んでいた。

△ 自分はとっさの対応ができないので、お金の件についてなど、もし問われたら、なんて答えようか準備をしておく必要がある。これは、習慣にするのは難しく、コツは、誰から見ても全うな筋を自分の生活に通すことを「意識」しておくこと。今回は、親から見た筋を意識していなかった。この「ある人からみた筋のズレ」、「誠意のズレ」、を発見した場合、

①まずは無理やり筋を通すように環境を変えるか、筋を通していない人物に「自ずから」適切な方法で打診をすること。

②それが、厳しければ、何か当該案件に関わるようなことを聞かれた際に整合性がとれるようなことを言っておくこと。それに必要なのは「遊び」である。例えば、僕の住んでいるシェアハウスが、バイトの代わりになっているように、普通ではあり得ないものを生活の中に準備しておき「余裕」をつくる。その余裕にしわ寄せ案件を当てはめることで、柔軟な対応ができるようになっておくこと。宗教や持病等もその一件になりうる。基本、それらで対応するが、それが厳しいものに関しては、気がついた「その場で」解釈をつくる

③それすらも厳しければ、今回の母と自分のお金や誇りに関しての関係と同じように、今は仕方なく不当な評価を受けるが、後で挽回することを腹で決めること。大義のために「しかたない」犠牲だと割り切れば、対応も感情でぶれること無く、適切なものをつくれる。

 

すとらテラ処方録 21 長崎へ down

 

 

1月6日 薬飲み忘れ,イベント参加

◯ 薬を飲み忘れたせかいか10時間ほど寝た。すぐにイベントがあったので、毎日の習慣をする暇もなく外へ出た。電車の中ではtwitterし、七草を摘んで、書き初めをした。七草を探すのがめちゃ苦手で、やはりもの探し系のIQの低さを感じた。書き初めはほどよく調子にのった。終わって帰る時、とてつもない睡魔に襲われて、なにもできなかった。家についたら、料理や家の家賃のことなどしていたら、1日が終わった。

△ 寝すぎると、眠気が。眠気は睡眠時間の如何によらずあるかもね。

 

 1月7日 twitterに夢中で何もできず

◯ 早起きはできた。twitterばかりで他の記憶があまりない。晴れていたにも関わらず、やる気が家ででなかったので、学校に行ったが、学校でもイマイチ。結局家に帰って、唯一のレポートをメールで送信。その後、論考してブログにコメントして早めに寝た。

△ 以前、twitterを開かなかったらとても充実した日を送れた。集中する時は、誘惑をシャットダウンする。

 

1月8日 もがいた日

◯ 早起きし,男女差別について考えた。途中で寝て頭が痛くなった。家の中だと何もできなかったから、学校に行った。学校でも何もできなかったから、家に帰った。その間やったことは、、、、ネットサーフィンくらい。家に帰って、年金関係をやろうとしたり、HITの連絡をしたり、光熱費をやろうとしたり、新しい家の家賃を計算したり、よくやった。そしてすぐ寝た。

△ 最近は、メタ視点の多幸感が弱まっている。単純に世俗の次元で暮らしてる。初心を思い出す。波を作っていく。本気でやらない。負荷を一定に。それであれば、毎日1つ達成できればOkayくらいに構えておく。自分基準に。そうして、毎日の蓄積の上に自分がいる。ゆえに今の自分が一番素晴らしい。うまくいかない時が合っても、それで経験値が溜まっている。ありのままを認めつつ、ありたいように生きる。そうした矛盾を味わい楽しむ。工夫をこらして、自分をコントロール。適切なタイミングで座禅、腹式呼吸。外で仕事。歩いて仕事。自分の気分をコントロールできるお約束ごとをかましてく一番のストレスから逃げられる方法はストレスに向かうこと。終われる前に追って潰す。素敵な時は主観的に、辛い時は客観的に。ちゃんと死ぬための今を生きる。やっていきましょう。

1月9日 まぁまぁ

◯ 早起きし、twitterし、洗濯物を干して、眠くてもう一度睡眠をとって、起きたら、学校に行って、何度かATM行って、面談の予約して、会社のことやって、Dreamweaver開いて、電気代等の振込やろうとして、消費者金融調べて、審査して、お金の稼ぎ方をずっと考えて、帰って会社のことまたやって、早めに寝た。明日は、「早く実験を終わらせる」の意識を持って生活しようと心に決めた。

△ 夕方、研究室で、真面目にやることへの嫌気がさしたとたんに、不自由になった。あのような場合の客観性を再興させる工夫を身につけておいた方が、いざという時に自分が適切な方向へ向かわない。自分に素直になるのも大切だが、いざという時のために自分をよりコントロールできるようにしておく。そのための工夫をよく考えておく。

 

1月10日 起きれなかった割にはgood

◯ 早起きできず、いつも通りにやって、学校のカウンセリング受けて、Dreamweaverやろうとして、家に帰ってHITやって、お酒飲んだら、1日が終わった。洗濯物干した。

△ あと三週間。土日を考えるともう10日間くらいしかないと思った方がいい。あと10日で修論を仕上げる。あと、武井壮なみの研究を行って、睡眠時間を削ろうと決心した。グラフに項目をつくる

 

1月11日 やりたくない病発症し、携帯でYou-Tube祭り

◯ 二日酔いで7時間半寝た。頭痛で調子が悪くお皿も洗いたくない気分。なんとかダラダラしながらも、毎日のルーティーンをこなして、またお金のことばかり考えてた。お金が足りない今、どうやってしのごうか。そいういう思いが湧くからこぼれ、いつの間にか将来の起業を考えるように。ただ、よく不安の正体を言語化し、とにかく今現在お金が足りてないからお金に不安になって収まりどころなくお金のことばかり考えているのだと自覚し、今現在をどうしのぐかに集中。プチビジネスやクラウドファンディング、後輩からの借金等、色々模索し、結果、まさしの名義でお金を借りることに。そうして、少し落ち着いてから、家で研究室に泊まる準備をして、学校に。学校についてから、音読しながら勉強するとはかどることに気がつき、やっていたが、途中で飽きYou-Tubeに流れ、おおよそ5時から10時の5時間は非生産的に過ごした。

△ You-Tube中毒の流れは止められなくなるので、積極的に導入した中毒防止アプリForestを使用すること。またパソコンでの中毒に流れた場合、立ちながらの勉強、音読しながらの勉強と、とにかく、大切なのは、これまでつくってきた工夫を意識して時間を過ごすこと。この工夫だけは必ずやるように、そうして自分をコントロール可能なものにしてから、youtubeをやるならやるでやること。中毒状態からとにかく抜け出して、客観の持てる健やかな意識を保ち続けること。

 

1月12日 まぁまぁ進んだ。

◯ 1:30に起きて6時までやって、7時半におきて17:30まで研究も研究以外のこともやった。18時からたつろうと研究室で飲んで、21時くらいから街に飲みにいった。よくやった!一歩成長!

△ とにかくやればやれる。をちゃんとできた。最も効果的な現実逃避は現実直視

 

1月13日 やりたいことは出来なかったけれど。

○ 二日酔いによりシェアハウスで遅く起きる。なんとか踏ん張って、学校に。学校付近を9時頃うろうろ。うろうろしながら、たそがれ。中に入れて、お昼。twitterのアカウントの移行と、少しのアドビと、バキを視聴して一日が終わった。あと睡眠に関する考察。あと、やる気在ったけど、某アイドルのラジオ聞いてたら、やる気が損なわれていった。

△ 不快な感じがずっとするカオスな一日だった。男女差別について考えたっけなぁ。

1月14日 パソコン壊れた日

○ 朝早くに起きて、睡眠時間の計測。気分は上々だが、ツイッターのアカウントの仕分け行って、少し混乱。西部先生のyoutubeを視聴。イラレもまぁまぁ進んだ。研究室に連続にいるので、気分を入れ替えようと、外でゆっくり。悲しみの秘儀をすべて読んだ。あと猫と遊んだ。かえって、気分を入れ替えて、イラレをしようと挑む。しかし、できなかった。(笑) くやしくてもう一度挑んで、できた。スタンディングデスクについて調べて、そのまねごとを研究室でやっていたら、コードがひかかり、高台からパソコンを落とした。壊れた。ショックを受けたが、この時はへっちゃらの領域だった。なんとかなると思っていた。youtubeを見たり西川と話したりしていると気が付いたら、9時。家に帰ってすぐに寝た。

△ まぁ、そういうもんでしょ。ただ、精神論で乗り切ろうとしたところは工夫が甘い。これまで何度、研究室立てこもりを行って、失敗してきたことか。同じ工夫はしないこと。気合の入れ方にはこだわらなくてもいいが、工夫の仕方にはこだわれ。

 

1月15日 パソコン直そうとしても治らずストレス抱えまくった日

○朝早く起きてパソコンを直そうとした。頑張ってストレスを対処して、「おちついて、ゆっくりでいいから」と自分に唱えながら作業を進めた。古いパソコンが使えないことを知った時、いじけた。毎日のルーティンはさぼった。それから、布団をかぶってようつべ。寝たり起きたりして朦朧としてた。起きた後、ゲームをしてはまった。カウンセリングに生き忘れて、その連絡をしようとしたが、ゲームから離れることができなくて、きがついたら、hitの時間になっていて、こばと話して、一日が終わった。

△ いじけ方がまずかった。ゲームによるいじけは、脳がマヒるので、絶対やってはだめ。中毒になれば、一巻の終わり。ウイルス感染したパソコンは使えない。一番やってはいけないことをした。

1月16日 復活

○ 昨日、遅くまでyoutubeをみていたせいもあって、アラームなしで遅めに起きた。

最初は俳句アプリをやっていたが、気づき、心機一転して、墓で瞑想、その後、学校に行き、ブログやらいろいろやった。住民がボードゲームをするというので、かえって参戦。3時半くらいまでやった(笑)

 

△ よくたちあがった!ただ、ボードゲームのし過ぎ。生活の秩序は削りすぎない。なんでもほどほどが一番。疲れるまで、やりきるまでは、遊びではよくない。ちょうどいい、足りないくらいが中毒にもならず、他の生活も楽しめるようになる。

 

1月17日 そこそこよくやった!

○ 夜更かしの為、10時くらいに起きた記憶。一度起きたが、薬を飲んでいなかったのもあって、二度寝した結果。睡眠のとりすぎて日中眠かった。失敗の本質を読んで、ゆっくり。会社の連絡が来て、それに時間を費やしすぎた。気が付いたら一日が終わった。あらおの指摘をした。電話での話し方が早口すぎた。自覚していたけど、自分の発言に自信が持てなくなったので、止まらなかった。自分の反省しないといけないと思った。

△ 会社のことだから優先。よかったんじゃないかな。ただ、我慢、信用、というのも今後教育をするんであれば、慣れていかないとなと思った。また、同時に、自分がいいと思ったことは、かなわない人からみれば、質の低いことなんだと気が付いた。

 

1月12日 できなくて実家に帰った。

〇 薬を飲み忘れたので遅く起きた。天気がよくゆったりしたが、学校にすぐに行った。行った後に、wifiが止まったことを知り、その手続きに時間と労力を費やした。疲れて少し休んで、学校に行った。実家に帰ることを告げ、バスで帰った。うまい飯を食って、あまりすぐには寝れず、一日が終わった。バスの中でも、家の中でも、失敗の本質を読んだ。

△ wifiみたいな毎度、手間と時間がかかるものを一気にやる期間をつくるといいかも。一か月に一度、休日を生活の効率化に集中する日をつくる。手間のかかることを一気にやってしまう日。l

 

1月13日 修論をやりまくった

〇3時に起きて、twitterやって、6時に寝て、9時に起きた。それから修論ずっと。朝はうまくいって、昼、少しずつ助けてもらう頻度が増えて、夜はほとんど頭が動かなくなってされるがままだった

△長時間のワークをすると、本当に頭が動かなくなる。先輩が夜指導をしてくださっている時、頭が働いていなかったら、今後どのような対応をすればいいのか考えた。夜はだめだけど、一番はトレーニングして、夜も頭が最低限は羽働くようにすること。次に、定期的に休憩をはさむようにしてオーバーワークを防ぐなど、働く時間を分割するなどして、工夫をすること。そして、働くとき、右脳ワークと左脳ワークを交互にすることで、左右の脳を順序よく休ませること、またそのために、ワークの内容を左脳内容と右脳内容にわけることで、仕事の割り振りの効率を高めること。さらに、脳内作業を科学や技術に代行させ、脳のスペックをあまり使わないようにする。例えば、隣に作業用のディスプレイを準備したり、エクセルの文字列を簡単に検索できるためにまとめた効率化エクセルファイルをつくったり、普遍的に使えうる、知恵をたくさんためておく。そして、それは歴史の中にあるはずだ。食事や睡眠にも、自分は人よりも容量は低いので誰より気を使ってお金を掛けなければならない。貯金も大切だが、貯金を効率よくするための土台を固めていく。んで、ここまで大変なのだから親や親しい友人とも遠慮なく連携していく。さらに精神についてだが、どう頑張っても求められている仕事はできなくなるはずで、そこを予測し、受け止めて、諦めて、その中で一番マシな対策を練り、それがうまくいくための根回しをしておく。できないやつなりの方法論を具体的に創造しておく。また、自分ならではの強みを延ばすのも大切だが、弱み、例えば事務的作業スキルを上げるための根本的な基本公式の更新を継続的に行う。そのために、毎日の事務作業を行う際に、一つひとつを時間のあるうちに真剣に振り替って具体的な現実的な方法論を確立しておく。

すとらテラ処方録 20 長崎へ

1月6日 薬飲み忘れ,イベント参加

◯ 薬を飲み忘れたせかいか10時間ほど寝た。すぐにイベントがあったので、毎日の習慣をする暇もなく外へ出た。電車の中ではtwitterし、七草を摘んで、書き初めをした。七草を探すのがめちゃ苦手で、やはりもの探し系のIQの低さを感じた。書き初めはほどよく調子にのった。終わって帰る時、とてつもない睡魔に襲われて、なにもできなかった。家についたら、料理や家の家賃のことなどしていたら、1日が終わった。

△ 寝すぎると、眠気が。眠気は睡眠時間の如何によらずあるかもね。

 

 1月7日 twitterに夢中で何もできず

◯ 早起きはできた。twitterばかりで他の記憶があまりない。晴れていたにも関わらず、やる気が家ででなかったので、学校に行ったが、学校でもイマイチ。結局家に帰って、唯一のレポートをメールで送信。その後、論考してブログにコメントして早めに寝た。

△ 以前、twitterを開かなかったらとても充実した日を送れた。集中する時は、誘惑をシャットダウンする。

 

1月8日 もがいた日

◯ 早起きし,男女差別について考えた。途中で寝て頭が痛くなった。家の中だと何もできなかったから、学校に行った。学校でも何もできなかったから、家に帰った。その間やったことは、、、、ネットサーフィンくらい。家に帰って、年金関係をやろうとしたり、HITの連絡をしたり、光熱費をやろうとしたり、新しい家の家賃を計算したり、よくやった。そしてすぐ寝た。

△ 最近は、メタ視点の多幸感が弱まっている。単純に世俗の次元で暮らしてる。初心を思い出す。波を作っていく。本気でやらない。負荷を一定に。それであれば、毎日1つ達成できればOkayくらいに構えておく。自分基準に。そうして、毎日の蓄積の上に自分がいる。ゆえに今の自分が一番素晴らしい。うまくいかない時が合っても、それで経験値が溜まっている。ありのままを認めつつ、ありたいように生きる。そうした矛盾を味わい楽しむ。工夫をこらして、自分をコントロール。適切なタイミングで座禅、腹式呼吸。外で仕事。歩いて仕事。自分の気分をコントロールできるお約束ごとをかましてく一番のストレスから逃げられる方法はストレスに向かうこと。終われる前に追って潰す。素敵な時は主観的に、辛い時は客観的に。やっていきましょう。

すとらテラ処方録 19 自宅に帰る

12月30日 自宅に帰る

◯ 早くに起床。反省やtwitter。そのあと研究。父に手伝ってもらいながら、研究を進める。致命的なミスを発見しモチベdown。それからtwitterに没頭。ほとんどのSNSで過ごし、夕食の前後からまた研究をスタート。父に手伝ってもらって少し進んだ。研究が嫌すぎて少し頭痛がしたので9時半にベット。火照った気持ちが収まらず結局1時前に就寝。

△ 慣れない環境、慣れないリズム、慣れない圧力で、ストレスを感じず、理性的に生きる精神機能がぶっ壊れた。「今が最上に素晴らしい」の精神を保ちつつ、次元が一つの上の工夫の工夫と反省の反省を意識しながら、歴史に担保された小さな波の中で生きることができなくなった。まずはこの初心に還り、今の生活に合うようにデザインをし直したい。やはり自分のみでは研究はできないことが機能でわかったで、積極的に頼ろうかと思おう。ただし、頼りからには、自分もよそ見をしないで誠実にやってこうと思う。できる限り、部屋に閉じこもるのではなく、リビングでやっていこうと考えている。せっかく利用するように言われているのだから、思い切って利用する。

 

12月31日 よくやった日

◯  早起きし、三つの習慣。その後、ほとんどの時間をパソコンの前で、研究に費やす。よくやったよ。俺。少し、外に散歩しに行って、久々あう友人に「おおきくなったね」と訳のわからない挨拶をして、夜は語って、護身術教えて、寝た。

△  真剣に誠実に仕事に向かえばより効率的に効果的になる。工夫がたくさん生まれるし、全体像の把握もできる。父を見れば明らか。まるで他人にアドバイスをしてあげるがことく、やっていく。自分のやりたくないことは、自分を滅するのがいい。自分がやっているのではなく、自分を操って、手伝ってあげるような、やってあげるような、せっかくやってあげるからには誠実に向き合ってあげるような、そんな気持ちでサクッと終わらせてあげる。Okay? 精神次第で変わるのよ。工夫を工夫、反省を反省。より根本まで遡れ。

 

 1月1日 じっちゃんち

◯ 早起きし、習慣done. この日はtwitterに熱狂。癪にさわる件があったが、調子がよさそうだった。気が付いたら、1日が終わっていた。

△ 課題図書について、読み進めることを優先したい。毎日の反省は大切だが、input作業は、この時しかできないので貴重性が高い。

1月2日 実家へ

◯ 早起きし、反省すらかけずに実家へ。しゃべり倒していつの間に到着。ばあちゃんとは今まではまともに話せなかったけれど、今回はちゃんと話すことができた。そしたら、笑ってくれた。なんどもありがとうって言ってた。記憶もいつもよりよかったみたいだ。そのあと、イオンへ。買い物で好きなものかってよい旨を伝えられたが、何も希望をしなかった。帰って、twitterに熱がこもる。交感神経が活性化し続けた日だった。寝る時間は12時過ぎ。

△ 朝の習慣をしなかったのは痛かった。歯磨きをするレベルまでに「落ち着かなくなる」ほどに持っていく。twitterも熱が入りすぎた時は、座禅をするとよい。熱狂=正常ではない感情、なので、いかにそのことがよさそうに見えてもあえて水を差す。それは習慣にしたい

1月3日 実家へ

◯ 写経をする暇なく実家へ。ずっとしゃべり倒した。交感神経優位で狂になっていたので、一度座禅を組めばよかった。帰って、明日の買い物をしに行って、twitter。夜の最後は頭が働かずちょっと密度が小さめ。相当アゲアゲな日だった。

△ 話しすぎと言われた。確かに、今日は妹が喋る隙がなかったのかもしれない。聞いてる側のことも考えてなかった。自分と他人は違うこと。よく相手のことを考えて喋るようにしよう。真理と相手を突き詰める。

1月4日 お泊まり

◯ 早起きして、飯作って、民宿へ。飯の準備の前に頭を動かしすぎたせいか、疲れてた。その上で、親から叱られてめっちゃストレスを抱えた。んで頭が働かなくなって、怒られながら料理を作って、向こうに行って、はしゃいで、のんで、寝た。

△ 準備不足だった。妹を信用しすぎたし、結果に誠実ではなかった。企画はその時の自分の魂が宿るようにつくる。できなかったわけは全ていいわけ。心づもりは全て自分ひとりでやるつもり、表に出すのは最良の関係を築くのに必要最低限のことだけ。

 

1月5日

 ◯ 民宿で早起き5時。goodだけど薬がないせいもあるのか、途中から疲れてきた。とにかく話しまくって、家に帰って、花を買いに行って、渡して、長崎へ。到着後、SPIを手伝ったが、脳が働いてなさすぎて、なにも貢献できず。そんで10時過ぎに寝た。

△ 脳が働いていない時は、どうすればいいのか脳が働いていないのに考えることがそもそもできないので、仮眠か瞑想をルーティン化しようと思う。また、その後、ぐるりと回るので、ゆっくりでもいいから建設的に考えられるように、見える化しようと思う。

 

人間の学としての倫理学 まとめ

 

 倫理学とは何か、についてまずは考える。倫理という言葉はシナ人が作った言葉であるから、シナ語を考えると倫理という意味がわかってくる。「倫」というシナ語は元来「なかま」を意味する。「理」は「ことわり」であり「すじ道」である。人間の生活に関係するものとしての理は、人間の道である。こういったことから、「倫理」とは「人間共同体の存在の根底に横たわる道義」を意味すると言える。倫理が以上のような意味ならば、この倫理を問う「倫理学」は「人間の共同体の根底に横たわる秩序・道理を明らかにしようとする学問」である。

 では、人間とはなんだろうか。人間は「人」に「間」と書く。日本初の近代的国語辞典「言海」によれば、人間は本来「世の中」「世間」を意味し、「俗に謝って人の意になった」とのことである。誤解が起こるということは、「世の中」は単に「人」と解釈することができたことを実証している。こういったことから、人間とは、全体である「世の中」と部分である「人」の止揚によって統一された言葉であると解釈できる。

 では「世の中」或いは「世間」とは何であろうか。世間という言葉を日本にもたらしたのは漢訳経典である。世間は仏教的な哲学が込められた言葉であり、この哲学の根本命題は「世間無常」である。この世間の概念はシナの仏教学者によって、「世」は「遷流」、平たく言うと、「移り変わるもの」であると解釈されている。しかし、ただ移り変わるものであれば、一つの世であることができないので、和辻は、それに対治することで本質が保たれる必要を主張し、さらに対治によって遷流のないものが現れたのであれば、それはもはや「遷流」を意味する世間でもなくなるので、こういったことから世が破壊性・対治性・覆真性のある言葉であり、また定義をすれば永遠に自己否定が行われるような言葉としている。

 また、世間と訳せられた言語のlokaは本来「遷流」の意味より「場所」の意味を持った語であること、仏教の「世」が「苦」である前提を考えた時、自然現象の時間的な推移は苦ではなく人間関係において苦が生まれること、といったことから、空間的な、場所的な意味が主としてあることがわかる。ここから、世は人間の共同体の意味があるように考えられる。

 次に、「間」及び「中」という言葉も、男女の間、間を隔てる、仲違い等の用法を見るに、人間関係も意味することがわかる。また、人は行為することなしには「間」「仲」をつくることはできず、またなんらかの間・仲においてでなければ人は行為することはできないので、間柄と行為的連関は同義であることがわかる。ここから、この間・仲は、机の間、水の中といったような静的な空間ではなく、生ける動的な間であり、自由な創造をも意味していることがわかる。ここから、「間」「中」は人間の共同体であることが導ける。

 では、世・間・中は現在ではどの言葉にあてがわれているのであろうか。それは「社会」である。実際、日本では「社会」という訳語が用い始められるまでは主に世間・世の中という言葉によって社会を言い表していた。シナにおいては、近思録で郷民為社会等と言われるように、宗教的に結びついた小さい村落共同体が社会と呼ばれた。「社」は元々土の神であり、その祭儀が集団の根底になった。また、この宗教的な意味の他に社会は主として「集団」を意味した。これでは現在使われている社会の時間的・空間的性格には触れていない。しかし、世の中・世間という言葉は、本来の社会の意味を持ちつつ、場所的なもの、絶えず推移するものというものという意味を含んでいる。そして、世の中は行為的な連関として必ず「間」「中」というひろがりを意味するとともに、また同じく行為的な連関であるがゆえに必ず移り変わるものである。従って、人々が社会を世間・世の中として把捉したときには、社会の空間的時間的性格、言い換えると、風土的・歴史的性格をともに把捉していたということができる。

 以上から世間・世の中という言葉の意味は、人間存在の歴史的・風土的・社会的性格を捉えたものとして十分尊重に価することがわかる。世間・世の中とは、遷流性及び場所性を性格とする人の社会であり、歴史的・風土的・社会的な人間存在である。

 人間の概念を世の中自身であるとともにまた世の中における人であると規定し、この人間の側面を「人間の世間性」と表現し、他の側面を「人間の個人性」と呼ぶことした場合、人間存在とはこの両性格の統一であると言える。これは行為的連関として共同体でありつつ、しかもその行為的連関が個人の行為として行われる。これが、人間存在の構造であり、従ってこの存在の根底には行為的連関の動的統一が存在する。これこそが、倫理の概念において明らかにされた秩序・道である。

 では、倫理は「存在」(Sein)の根底であって「当為」(Sollen)ではないのだろうか。そもそも「存在」とは何であろうか。存在という言葉が現在Seinの同義語として用いられているが、Seinは主辞と賓辞とを結ぶ繋辞であり、実際のところ同義語ではない。S ist Pを「SはPである/なり」と言い現わしているが、SとPを結びつけているのは「である」「なり」等であって「存在」ではない。繋辞としての意味をも含むSeinの訳語としては、「である」「なり」などの根幹である「あり」を選ぶべきであったと和辻は考える。「あり」は繋辞的用法においては「である」「なり」等になり、事実のexistentiaを現わす場合は「がある」「あり」の形をとる。従って、繋辞的Seinを問題とすることは「である」を問題とすることであり、思惟に対立するSeinを問題とすることは「がある」を問題とすることである。論理学は「である」を取り扱い、オントロギーは「がある」を取り扱い、両者は根源的な「あり」にもとづいている。したがって、この根源的な「あり」を取り扱う基礎的オントロギーがなくてはいけない。

 ところで、我々が「がある」に当てている漢語は「有」である。元来シナ語は繋辞のSeinに当たる言葉を持っていない。ここから、オントロギーは有論であると規定する。有について考えると、有には「がある」と同じ強さで「もつこと」を意味することがわかる。ハイデッガーアリストテレスは所有物を現わす語ousiaを保持しており、これには「有る所のもの」という意味もある。ここから有る所のものとは手の前にあって使えるもの、つまりousiaは身近に持ち来たすというような関わりを指し示し、アリストテレスはこの解釈によってousiaやその訳語のessentiaを交渉的存在の中へ連れ込む。また、あらゆる有つは人間によってであることから、有の根底には必ず人間が見出される。したがって、人間があるのは人間が人間自身を有つからだということがわかる。ここから、人間が己自身を有つことを言い現わす言葉が「存在」だということがわかる。

 「存」という言葉は、「存じております」というごとく、あることを心に保持する意に用いられている。漢詩の存の使い方を幾つか見れば、どうも「存」は単なる「がある」ではなく、自覚的に主体的に有つことであることがわかる。こうみると「存」には己自身の保持の意味があることが一層明白にわかる。これは忘失に対して把持を意味し、亡失に対して生存を意味する。すなわち主体の作用・行為であって、客体があることではない。しかし、主体は己れ自身の把持において対象的なる者を把持するのである。また時間的性格を帯びている。例えば、危急存亡の秋、存命、生存、といった語には時間的意味が含まれている。

 「在」という言葉は古来「にあり」として特徴づけられている。すなわち、ある場所にあることを意味する。この語も主体性を帯びた語である。例えば、主体性のない石を例にあげると、「山にある石」を、「山にいる石」といったように言うことができないことから、主体的場所的な意味を示していることがわかる。また、空間的な場所のみならず社会的な場所も意味している。例えば、在宅、在郷、在世といった語があることから、社会的な場所も意味することがわかる。主体的に行動する者はなんらかの人間関係においてあることを示唆し、ここから、自由に去来するとは、このような人間関係の中を自由に去来すること、すなわち実践的交渉を意味することがわかる。この実践的な関わりがなければ誰しも社会的な場所にいることはできない。このようにみれば、在とは人々がそれぞれの社会的な場所に去来しつつあることであり、従って「人間」が己れ自身を有つことである。

 したがって「存」はその根源的な意味においては主体の自己把持であり、「在」は根源的にその主体が実践的交渉においてあることを意味するとすれば、「存在」が間柄としての主体の自己把持、すなわち人間が己れ自身を有つことの意味であることは明らかになる。存が自覚的に有つことであり、在が社会的な場所であることを結合すれば、存在とは「自覚的に世の中にあること」に他ならない。しかし、その世の中にあることがただ実践的交渉においてのみ可能である点を強調すれば、存在とは「人間の行為的連関」であるとも言わなくてはならなくなる。これが、我々の存在の概念である。

 以上から、倫理学は人間存在の学であらねばならないことがわかる。こうした時、この人間存在が当為に対するSeinではないことが明らかになる。人間存在は人間の行為的連関であるがゆえに自然必然性において可能な客体のSeinではない。しかし、またそれは人間の行為的連関として、単に主観的な当為の意識というものでもない。人間の世間性と個人性とは人間の行為を共同的であるとともに個人的であらしめる。個人の行為が単に個人的主観的であるのみならず超個人的な根底を持つことを意味するとともに、また共同体の行為が単に超個人的であるのみならず必ず個人の行為として表現されることを意味する。ゆえに、我々はSeinとSollenのいずれも人間存在から導き出せるものとして取り扱えると考える。人間存在は両者の実践的な根源である。だから人間存在の根本的な解明は、一面において客体的なSeinがいかに成立したかの問題に答える地盤を、他面においてSollenの意識がいかにして成立するかに答える地盤を提供する。前者は「有の系譜」をたどることによって答えられ、後者は人間存在の構造がいかに自覚されるかをたどることによって答えられる。人間存在の学はこの二つの方向に対していずれも十分な地盤を与えなければならない。

 したがって、人間存在の学は人間存在を全て観念的なものの地盤とともにまた自然的な有の地盤としても把捉しなければならない。このような存在において人間は、個として現れつつ全体を実現する。個であることを通じて全となるという運動においてまさに存在なのであるから、この運動の生起する地盤は絶対空である。すなわち絶対的否定である。絶対的否定が己を否定して個となり、さらに個を否定して全体に還るという運動そのものが、人間の主体的な存在である。全ての人間の共同体を可能にしているのはこの運動であり、またそれは、一般に間柄をつくるためのふるまい方として、行為的連関そのものを貫いている。ゆえに、人間存在のなかにはすでに倫理があり、人間共同体の中にはすでに倫理が実現されている。だからこそ、「倫理」の学は同時に「人間存在」の学ではなくてはならない。また、この人間の学は、一面においては人間の自覚でもある。人間が存在的に実現するものをここでは反省意識において反復する。従って倫理学は人間の自覚の体系化であると言える。

すとらテラ処方録 18 帰って修論への危機意識

 12月23日 少しの休み

◯ あまり何をしたのか覚えていない。遅めに起きて、部屋を綺麗にして、親と連絡して、心を整えて、あらおに住む所の連絡をして、気が付いたら時間に。最後の夜はツイッターをしたら10時睡眠の予定が、12:30に。ツイッターに2時間はゆうにかかるようだ。

ツイッターの時間は自分の時間で裕福に過ごしたいが少し控えた方が良さそう。早くやっつけて、HITや他の毎日に集中したい。

 

12月24日 よくやれた日

◯ 朝は早く起きれないが習慣をバッチシこなした。長時間twitterを復活したのち、すぐ外で読書。15時から日が暮れるまで。帰って、少し読書をした後、クリスマスプチパーティをして映画。誘惑に負けざるを得ない環境であった。映画については、みなくてもよかったので少し反省。

△ 日々淡々と生活すること。焦りや不安は集中ができなくなる。理路整然とやればよし。twitterより本や論文から学べることをつぶやくようにする。まず、朝起きてすぐに本を読むようにする。思索の時間を本に置き換える。

 

12月25日 よくやれた日

◯ はよ起きて、三つやって、早速朝から読書。病院に遅れて行って、遅れてUSB送って、また読書。日が沈んで、学校で少しツイッターいて、家に帰ったら料理やらして睡眠。日が沈んだらすぐ寝る。は結構良かった。

 

△ 日が沈んでからすぐ寝るをもっと実践したい。10時には寝ることができればもっと生産的になれるだろうに。昨日の調子である。呼吸を整えて、精神を整えれば、もう少し読書に集中できるかもしれない。

 

12月26日誘惑に負けた日

◯ 早起きして、3つして、課題しっかり。まとめたり読み終えたりして、いざ書く作業に入ろうとするが、意気込んでいたが、なかなか進まず。そんな時隣でスマブラ。やっちまった。結局15時から23時あたりまで8時間ほどゲーム。

△ ゲーム中毒の教訓は中毒性あるものは一度やって、「もう一回」を唱えたら一日が確実に終わること。そんな時「自分はやめられる」神話を捨てなければいけない。明日立て直す。

 

12月27日 レポートを進めた日 うまく調整できた日

◯ 寝るのが遅かったため起きるのは少し遅め。昨日に後悔をしながらも、朝があまりにも気持ちがいいのと、昨日のテンションがかなり高かったので、どうしてもやる気が起こらず。そこで、学校にいこうと立ち上がった時に、天気が良いことやパソコン作業が必要なこと、電波が必要なことなど諸々の条件を考えて外で作業をすることに。日光の位置が変わるまで外で集中。その後、部屋に入っても集中。西部さんの番組が始まるまでは一気にやれた。番組が始まってからテレビの調整をしたがうまくできず。何度も焦って同じことを繰り返したのはADHDみが高かった。食事をつくって寝る時間に。あと、カウンセリング行き忘れた。

△ 天気が良すぎること、そして前日にテンションをあげすぎると、影響がでることがわかった。天気が良すぎる場合は、日光浴をしてしまうので、読書といった落ち着く作用のないものに限っては、外でやるのがいいみたい。一度、変化を与えてあげることで、思考に磨きがかかる。切り替えができて報酬系が正常に近くなる。

 

12月28日 レポート終了。研究開始

◯ 早起きはできず。雪降る寒さに二度寝。からの、朝からレポートを雑に書き上げた。明日に実家に帰らねばいけないことを知り、すぐさま実験。ただ、途中で実家に帰らねばいけないこともないことに気がつき、少しの堕落。だがすぐに持ち直した。GMXのまとめを終えたら、だるくなったので、ここが良い工夫!持ち帰るデータのまとめを行った。さらに良い工夫!家に帰って時間が余ったので小説を読んだ。カウンセリングへの電話は忘れたが、それ以上によい工夫のできた日であった。あと、薬ももらいにいけた。

△ 「勘違いを生かす」というのも意識するといいかもしれない。実家に帰るdeadラインを聞くのは明日でもよかった。あえて勘違いし、早めに終わらせるのは手。今後、実質どうなのか、を聞くのは習慣的にするのではなく、今をいかに生かせるかという思考をいれてからするようにしよう。

 

12月29日 実家へ。落合さんに夢中

◯ 早起き。いつも習慣を完了。ツイッターに夢中の日21ツイもしていた。その中で落合さんの過去を遡って、いろいろ得るものがあった。あの人ですら努力の人。狂気になるために狂気になっていた。体をめちゃめちゃにぶちこわしながら、少しずつ慣れていった。まさに修行僧。自分も人生のあらゆることを放り投げて本当にやれば、あそこまでいけるに違いない。しかし、その勇気があるだろうか。これまでは甘っちょろい利己的な信念が動力源になっていたが、今は大きな日本や先人や家族に支えられて今の信念がある。今ならキチガイになれそうな気がする。んで17時までやっちゃって、それから研究関係。正直、研究関係は、過去を遡って考えてみても、なんだかんだ間に合う気しかしなかったので、やる気でないのは必然。実家に帰って慎み深く親を利用させていただき、できるところまでやってしまおうと思う。朝、やるべきことをワードにまとめ、18時頃に再度持って帰るものを確認したのはファインプレー。何度も肝は確認すべきである。なぜなら、中高のテストの見直しのごとく、必ず漏れ抜けがあるから。んで、バスで家に帰って談話して一日が終わり。親の前で孝の精神を保てた。

△ やはり一人になると生活が荒れる。これを確認した。また、家に帰ると、引越し費用を出さないと言われた。これは俺をバイトさせるための言葉なんだろうか。自分が、日々を有意義に使っていることを親にそれとなく感じてもらう。毎日の背中が孝行になる。リラックスしながら、しっかり期待に応える。今は、自分ではなく親の子。親の子としての本質的な生活を送ること。 

すとらテラ処方録 17 東京へ 大変

 

 12月18日  ADHDみが深い日だった

◯ 荷物整理に手間がかかったが、喋りながらすることでなんかパックができた。諸々の書類のコピーが間に合わなかった。できたはずなのに気が散ってしまった。。。福岡についてバスを乗り間違った。が、間に合った。夕食を買いにいくつもり、が、一報もいれず食べて戻って来た。SSSでは最初に少ししゃべりすぎた。携帯をしている時に、遠回しの注意として、問いをかけられたが、もっとうまくやるべきだった。途中、個人の成長目標、SSSとしての貢献内容、を諸々の諸条件を考慮して考えることができたのはよかった。最後の自由トークの時、支離滅裂なことを喋って、焦って、余計に支離滅裂度が増した。

△ 準備が足りなかった。大事なのは1ににも2にも「余裕」。余裕がないと頭が悪くなる。「余裕」は必ずもって生活をするように心がけよう。

 

12月19日 ADHDみが極大までになった。

◯ 3時間睡眠で7時に起床。4時まで語っていた。意識が朦朧としながら毎日の習慣を10時まで。寝ればよかった。駅をウロウロしたのちにランチ。おごってもらうことを全く意識せずに高いものを頼んでしまったのは反省。お別れして空港へ。空港で、再三「大丈夫」といっていた航空機の時間が大丈夫ではなかったことに気がついた。夜9時かと思っていたら朝9時だった。そして20:15発の航空機を借りたが、9時発かと勘違いをまたしてしまって、乗り過ごした。最後、10時あたりに出発の便を予約して、ようやく旅立つことができた。

△ 昨日と一昨日は何があったのか。一昨日から振り返ると、とにかく全体を把握し、解像度高く自分とその周りを見ることができていなかった。焦っていたからだ。1日の中でやることを詰めすぎた。前もってやっておくべきことがあったが、それを考えついたのが前日の夜であった。「今ここ」に生きるのは大切だが、大事な案件がある時は、前もって一度、自分の未来の生き方を具体的に想像しておく必要がある。まるでイベントをするが如く。少し前だったらやることリストをみて、確認ができたのだが、やることリストがやる気を損なう、といった心理学の見地を知ってから、あまりみなくなった。そういったことを知ると自然に行動に影響が出てしまう。知ったことは、必ず自分の生活に少なからずとも影響を与える。たくさん知るのではなく、少なく深く知るように心がけたい。きちんと自分の生活に合うようにカスタマイズするためにも、自分の言葉で解釈をしてあげて、自分と調和させる。もし、こうしておけば、前日にタスクを詰めて焦らなかったのかもしれない。ただ、後回し癖のある自分は、まだ可能性がある。1日のうちに詰めてしまた時、考えておくとよかったのが、果たして本当に、それは今日すぐにしなければならないことだったのか、という点。印刷に関しては、東京に行ってからでも十分であった。タスクをあげる時は、これも必ず重要性のダイナミズム、その需要性は「効率」から構成されているのか「責任」から構成されているのか、ここを見極めないといけない。どうも自分は「効率」の比率が高く、それぞれを並列で並べてしまっているところもあるので、重要性を見誤った。タスクをやっている時、途中でそれに気がついたのはよかった。ただ、3日前に松本さんに早退の連絡を取ろうとしたが、その必要がないことに気がついて、連絡を取らなかったのは不思議である。確かに、自分の勘違いではないかと疑った。PMの意味を調べもした。そうしてやっと腑に落ちての判断だった。なぜ間違ったのか、、、これは、時折訪れる、「不可解な勘違い」である。これはどうしようもない。「不可解な勘違い」が起きないためには、常に心穏やかに懇ろに日々を送っておく必要がある。サラッと理解しようとすることがいけないのだ。最近、調子が良くなっていったこと、卒業が不安になってきたこと、この二つが焦りを生んでいたのだと思う。気持ちと時間に余裕をもって生活をしたい。

また、やはり違和感を必ず言語化する習慣をつけることである。わからないことは調べる。気になったことは調べる。常に、違和感を明らかにすることをやっていく。そうすることで、この「不可解な勘違い」の頻度を減らせる。大切なのは、この件や他の件を特に驕りたかぶった時に想い出すことで、自分はものを買えなくなるほどに知能が衰えることがあるということを自覚し続けておくことである。得意な部分もあれば苦手な部分も多分にある。そこにちゃんと目を向けておく必要がある。慎重に、慎重に、慎重に、人は簡単に進化しない。歴史に学ばないのが歴史の教訓である。自分も然り。自分の失敗に学ばないのが失敗の教訓である。そういう自分の至らなさを必ず忘れることのないようにしたい。

 

12月20日 研修前の調整で忙しく

◯ 早起きし、空港で習慣と研修のための調整。少し楽をしよう、頑張ったフリをしよう、といった邪心があったので、あまり進まなかった。移動後神社でパワポ。本当は、写真を撮ってもらうところをその時間に選ぶべきであった。未来を解像度高く想像することに欠けていたいこと、あるいは、そのタスクは一度考えついていたものなので、先輩たちに誠実あれば、思いついたはずであった。にもかかわらず、忘れ、さらには、いざ写真を撮ってもらおうとするとき、場所について云々言われたときに、自分は場所を探したんだが、見つからなかった風な口を聞いてしまった。嘘だ。嘘をついていけないタイミングで嘘を保身のためについた。よくない。写真を撮り終わった後、頭が十分に回せない感じで会議に参加し、飯をたべてしんちゃん宅へ。飯のときのシェアハウスの話は誠実に言葉を選べてなかったな。しんちゃん宅で、遅いタイミングで、会場に機材の確認と大嶋さんへの相談の連絡を取った。しんちゃんに言われてから。面倒なことから避けていた。一番大切なのに。。。これは、毎日の自分のどこかと同じようだ。卒論とかだ。よく頑張った日だが、よく考えることが、よく気を回すことができず、反省の多い実りある日だった。

△ 定期的にフッと自分に還る時間をやはり設ける必要がある。90分の原則を打ち立て、あるものに熱中する時間は90分までと決める。90分経てば、1分我に還るようにする。

スピードより丁寧さを心がける。誠意ある言動を常に意識する。

 

12月21日 忘年会本番

◯ 全体的によう頑張った。朝早くからラップを覚えたのは良い意識。ただ、気持ち、精神のリンクへの意識が弱く、記憶に時間がかかった。不測の事態にも適切に対応できた。本番の力の出し方は今までで最高である。しかし、次はもっとできる。ラップも時間が限られている中で復習した。本番では所々ミス。ミスした時に、素直にカンペをみればよかった。相手の視点からすれば、俺のことはみられていない。がっつり直前に覚えればよかった。終わったあと、少し引きずって会に集中できなかった。一つ音楽を流すタイミングを逃して、それから我に返った。終わったあと、すぐに空港にいかないといけないことに気がつき、二次会に参加せず出発

△ 直前は焦る。だからハプニングもよく起きる。今回は、自分ができるだけやりすぎないように、という意識で途中からペースを落とした。最後は、自分がやってのけようと思っていたが、携帯や動画のハプニングで追い上げることができなかった。焦り始める原因は締め切りにあるのではなく自分にあるとわかった。

 

12月22日 帰崎

◯ 座禅以外は完了。眠気が凄まじい。慣れない環境で寝にくい形で寝ると、十分にねれない。なんとか眠気に耐えながら家に到着。家でもうたた寝をしたが、なんとかラップの動画をほぼ完成までに。帰って一呼吸おいたが、少しの時間だけだった。追いこんでいたけど、精神的にそれがあったのであまりよくない。慌ただしい日で、あまり心地よくはない。あと、ソフトバンクショップに行ったのはgoodな判断。

△ 頭も働かない中、よくやった方だと思う。こういう時は、よく寝て、落ち着くに限る。家に帰って座禅をすればよかった。何事も余裕が大事。近くにパソコンを安く買える機会がある。これは、買っておきたい。携帯もYモバイルになっているので、なるはやで変えなければいけない。会社関係もなるはやだ。