自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

歴史に学ぶ「美徳」の大切さ

googleで「美徳」と検索すると

「ほめるべき、うるわしい徳。人として望ましいりっぱな心のあり方や行い。」

と出てきます。

 

今回は、この「美徳」についての話。

 

昔は、寺子屋美徳は磨かれていたそう。例えば、寺子屋における手習い。これは単に文字を上手に書くことだけが目的ではなく手習いで文字を学び、手本を読むことで様々な知識を習得していた。手本の内容は、日常の躾、礼儀作法、教訓に至るまであったそう。この意味で、手習いは、近世庶民の子ども達の人格形成の根幹を支えていた修身教育にもなっていたとのこと。(江戸時代の寺子屋の暗誦教育)

 

この美徳を学ぶ学問を人間学と言いますが、第一次世界大戦が始まった辺りから人間学が欠如していき、これが満州事変を招いたという話があります。(人間学講話 「運命を創る」を参考)

 

第一次世界大戦では、日本はほとんど犠牲らしい犠牲を払わずに、戦争に便乗して大もうけをしました。

この時、日本に初めて、成金というようなものができて、札ビラが全国に舞ってしまった。ここから、日本の堕落が始まります。

そこで、昭和の初めになって、「昭和維新」ということが叫ばれるようになりました。

この時の理論闘争は非常に盛んであったらしいのですが、明治維新と違ったことは、その中心人物たちが、伝統的な教学と修養というものをしていないので、理論は達者であるけれども、見識とか器量とかそういうものはできていなかったらしい。

そうして、国家社会を混乱に落し入れて、第二次世界大戦のきっかけとなった満州事変が起きてしまったようです。。。、

美徳の欠如。これは、昔だけの話ではない気がします。

頭が良くても、そこに美徳が宿っていなければ、ただの「小賢しい」人になってしまいます。そういう大人にはなりたくないですね。

 

歴史の説明がちょっと雑な気はしますが、、今日はここまで。