自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

本に載っていた「主体性」に関連した偉人の言葉をなんとか繋げてみた

今日も安岡の「運命を創る」から。今回は、自分が本の内容を理解できなかったので、内容を整理をする目的でブログの更新を行っています。

 

まず、自己の完成について近代スイスの最も尊敬すべき学者であり、実際家(理論や形式などよりも、物事を現実的に処理することを好む人)であり、経済家であるヒルティは、人がいかに完成されているか見極めるかということについて以下のことを述べています。

 

「男子は、その仕事場で、女子はその家庭で、働く様を見て本当にその人となりが分かる。男女共、つらいこと、苦しいことに際して最もよく彼らのことを知ることができる。最も分からないのは社交の場である」

 

 

ところが、近代はその自己完成というのが失れているそうです。

同じスイスの哲学者アミエルは以下のように言っています。

 

「蟻丘の時代群衆的生活の時代が始まっている。もし抽象的平等が勝つならば、個人主義の世紀がもはや真の個人を見ることができないという大危機が流行する。絶えざる平均化と分業とによって、社会は一切となるが、個人は皆無であろう。」

 

社会生活の単位が徐々に個人から集団へ移っていって、真の個人、いわゆる主体性が失われていくようですね。実際に、日本では第二次世界大戦の敗戦によって米軍に一時的に支配され、色々と改革されて良き点・悪い点と様々な影響が出ましたが、その影響の中で最も悪いのが「組織化」による自己の損失らしいです。主体性が損失すれば、自己の完成もできないでしょう。

 

また、主体性の損失の原因はもう一つあるようで、ニュルンベルク裁判(第二次世界大戦においてドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)においてナチ当時の軍需相であったシュペーアがこの件についての以下のように述懐をしています。

 

「科学技術が発達して、機械的組織が完備するに従い、人間は次第に単なる命令受領者にすぎなくなって、その結果、独裁者を生ずるようになる。今後、社会が機械化するほど、同時に自由な個人の完成に努力しなければならない」

 

「機械化」も主体性の損失の原因であるとのことです。

 

この後、忠君愛国や軍閥が無くなっていき、社会全体が実存主義に傾いた考え方になって、その後、残念なことに、世の中には価値のあるものは何もないと、虚無主義になっていったそうです。私は、何でも疑い過ぎると虚無主義になってしまうと思っています。(不勉強で不確か) 順番は、懐疑主義虚無主義の順番だとするならば、早めに、懐疑主義に陥った時に、対策を打たなければいけないといけません。

 

人類の恩人であるパスツールはパリのソルボンヌ大学で学生に以下のように語っています。

 

「何ものをも生み出すことができない懐疑主義に染まってはならない。諸国民を疑うある時期の悲哀によって落胆せしめられてはならない。①まず自ら問うてみることである。自己の修業のために何をなしたかと。そして諸君が次第に進歩したならば、自分は祖国のために何をなしたかと自問してみなさい。そして諸君は、ついに人類のために、また、その進歩のために、何らかの形で寄与したという自覚で、広大な幸福感に浸りうる時が必ず来るであろう」

 

①の精神が大事なようです。これは、自己の完成を問う質問です。自己の完成のためには、主体性が必要です。

 

まとめると、近代は、組織化・機械化によって、主体性が無くなり、自己の完成が困難になった。懐疑主義へ、そして虚無主義になった原因も主体性の欠如である。ということでしょうか? 主体性が大事なんでしょうね。しかも、組織化しても主体性がなければ、その組織は崩壊してしまいます。

後は、この主体性の重要性について2つ引用してみます。

かつてマルクス主義哲学の権威者であるベルジャイエフは、以下のように述べています。

 

「結局、社会の将来を決定するものは、その組織をどれほどか完成に近づけるにあるのではなく、その組織に参ずる多数の者の個人的価値、また彼らが、それを以っていかに集団に参加し、その影響を受け、さらに影響を与えるかという働きにかかっている。」

 

一人一人が主体的に社会に参加することがその社会の将来を決定するようですね。

 

また、この「主体性」という「精神」が大事なことについて、

ドイツのインフレ禍を救ったシャハトが

「深い精神的・感情的生活がすべての物質的生活の有効迅速な解決を助ける」

といっています。

 

やばいですね。「主体性」