自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

学ぶことと考えること

人はいつも情報を入手しようとしています。

テレビや携帯や新聞やラジオ

手段は様々です。様々な手段の中で最も質の良い情報が得られる手段は本ではないかと思います。今回は、その本による情報の入手の仕方を切り口にキーボードを叩きます。

 

本を読むことは良いことです。

ある分野の専門家や過去の優れた人物の考えを知ることができます。

そうして、その本の世界観に浸ります。

その著者が偉ければ偉いほど、その人に洗脳されてしまいます。

また、本を選ぶときは、自分の好みに合うものばかり選んでしまいがちです。

これは「認知的不協和」という人間の心理らしいです。人は自分にとって都合の良い情報を重要視し、都合の悪い情報を軽視する傾向があるみたい。

これでは、考え方が偏ってしまいますね。怖いのが、自分ではなかなか偏っていることに気がつかないこと。疑うことをしない人は、その本に書いてあることが全てであるかのような錯覚に陥ることがあるでしょう。

本を選ぶとき、本を読むときは、きちんと考えることが必要なようです。

自分の考え方が偏るような本の選び方をしていないか、本の情報は正しいのか、本の中で述べられている主張の逆はどういうものが考えられるか、と言った風に偏った情報の入手の仕方をしないように気をつけることが大事なようです。今では、こういうことを「メディアリテラシー」という言葉で表現していますが、昔も同じようなことが言われていたみたい。論語の一節に以下の言葉があります。

 

『学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し
思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し』


意味は

「学んでも考えなければ、[ものごとは]はっきりしない。
考えても学ばなければ、[独断におちいって]危険である」

です。

 

学んだら、その情報を自分の実体験や他の情報と照らし合わせて、その情報の信憑性や価値の程度を定めて、自分の血肉としたいですね。

また、自分の考えだけだと、どうしても視野が狭くなってしまうので、本を読むことで、中庸を保ちたいですね。

 

今日はここまで。