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自分の言葉にしてみること

言葉にしてみたい衝動の行き先

代表的日本人を読んで 〜西郷隆盛編〜

代表的日本人が紹介している5人の日本人について記述する。
まずは西郷隆盛西郷隆盛陽明学を重んじていた人である。陽明学朱子学と並べて説明されることが多い。さて、「朱子学」並びに「陽明学」とは何か。色んなサイトから掻い摘んで整理してみた。
 
朱子学は「物に格(いた)る知」の学問、つまり「物の真相を知る」である。だから、分析的なアプローチが用いられる。また、その真相への至り方は「外」に向いているらしい。というのは、知識とか論理とかそういう頭の良さが大事みたい。その朱子学には、格物致知、先知後行、身分秩序、といったことが重要視される。まず「先知後行」を説明する。先知後行とは読んで字のごとく「先に知って後で行う」ことが良いとされる考え方だ。知ることに重きを置いている。次に「身分秩序」について。朱子学は形式的な「礼」を重んじて主君に従うことを重視した。従って、保守的になりがちで、革命が起こりにくい。故に、江戸幕府では朱子学が用いられた。
 
陽明学は「物を格(ただ)す心」の学問、つまり「物を正すために心を正す」学問である。また、その正し方は「内」に向いているらしい。というのは、直感や情とかそういう心の正しさが大事みたい。この陽明学には致良知心即理知行合一といったことが重要視される。先知後行と知行合一は相容れない考え方である。知行合一とは「知ることと行うことは同じであって、分けて考えるものではない」ということだ。陽明学を考えた王陽明の著書「伝習録」にはこんな言葉がある。「知は行の始めなり。行は知の成るなり。」つまり「知ったとしても行動しなければ、それは知ったということにならない」ということを言っている。ゆえに、行うことに重きを置いている。また、上下関係のあり方も少し異なる。形式的なものより、自由な心から生まれる心の正しさ、いわゆる「まごころ」を大切にして、上のものを敬い、下のものを軽んじ侮らないことを大切にした。
 
 
 
 
後者の陽明学を重んじた人は西郷隆盛の他に、大塩平八郎吉田松陰がいる。この偉大な人物を生んできた陽明学を学んだ西郷隆盛について3つの特徴を挙げ、それぞれ所感を述べる。
 
「天を重んじる」
西郷隆盛が天を重んじたとされる証言が幾つかある。そのうち2つ紹介する。
 
「天の相手にせよ。人を相手にするな。全て天のためになせ。人を咎めず、ただ自分の誠の不足を省みよ」
「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」
 
いつも西郷隆盛の側には天の存在があったそうだ。
確かに、論拠を大切にする人間は、天の存在が不確かだと考えるので、上記の言葉には納得がいかないかもしれない。しかし、論証は不確かでも、この言葉の趣旨である、「人格の向上」を考えた時、(このような言葉を申し上げるのは天への冒涜に値するかもしれないが)「天」という存在を信じることは非常に効果のあることだと思う。天がいつも見ていると考えれば、人が見ていない時でも善行を積むようになる。そして、善行を積むことが習癖となる。習癖となれば善き人格が形成される。私は宗教には違和感を覚える人間なのだが、こういうポジティブな働きが強い信仰は推奨されて良いと思う。(ワンピースのルフィーみたいな自由をこよなく愛す人には向いてないかな)
 
「命よりも大義を大切に」

 生命第一主義がメジャーとなっている現代では受け入れがたい考え方である。西郷隆盛は仁義のためには躊躇なく危険な場に身を投じたり、死のうとしたりしていたという。西郷隆盛のこの言葉を聞くと多少頷けるのではないか。

「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることができる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」
 

「どれだけ生きるか」より「どう生きるか」の方が大事、と言うと、より納得がいくようになるかもしれない。ただ、命を投げ出すのは、なるべく慎重にしたい。仮に自分のために人が死んだとする。もしかしたらその死んだ人は大義の為の死であって多少清々しいかもしれない。しかし、昔と違って今は生命第一主義の考え方になっているので、他方は気持ちの良いものでは無い。さらに、第三者からのバッシングも大きいだろう。また、昔であれば「彼は己の大義の為に・天の道の為に死んだ」となるかもしれないが、今では「あいつが殺した」や「俺が殺した」となってしまうかもしれない。

 

「情にもろい」

西郷は情のもろさ故に、謀反人になったと言われている。謀反人になって明らかに勝ち目のない戦争を仕掛けたとしている。

情は、思いやりの始点になる。故に、欠かせないものである。しかし、視野を狭める。思考力や決断力を鈍らせる。そうして「異常」となる。異常となった状態での決断は得てして間違っていることが多い。

情は、意識的に制御をしないと無秩序に膨れ上がる。西郷は情を抑える為に、禅を行ったという。しかし、十分に抑えきれなかった。どうすれば、良いのか。西郷の厚い情を抑えるほどの処方箋にはならないだろうが、自分の経験則から考えたのは理の上に情を乗せることである。理で全体像を把握する。すると、情の適切な膨らます方向・程度が見えてくる。この点においては、道理に反し、苛立つが、この点においては、理解はできる、という風に。情は諸刃の剣である。気をつけなければならない。

 

次は、上杉鷹山について。