自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

代表的日本人を読んで~二宮尊徳編~

「徳を尊ぶ人」で二宮尊徳と呼ばれる二宮金次郎。彼は農民聖者として知られている。よく小学校に建てられている、まきを担いで本を読んでいる少年の石像は誰もが一度は目にしたことがあるはずだ。彼の思想は、その彼の読んでいる古典「大学」に由来するのだろう。

 

大学は、中国古典の四書五経の一つである。大学の中に収められている最も有名なフレーズは「修身斉家治国平天下」だ。これは、政治のあり方について述べられている言葉である。意味は「天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。」である。四字熟語ではこれを略して「修己治人」とされている。二宮尊徳はこの教えの模範となる人物である。

 

少年時代、尊徳は、十六の時に親をなくした。それから伯父の世話になる。出来るだけお世話になるまいと、真夜中まで仕事をしていた。全仕事を終えた後に、字の読めない人間にはなりたくないという思いで「大学」を勉強していたという。ある時、夜中に勉強している様子が伯父に見つかった。勉強の為に灯油を使っていることを怒られる。その後、川岸のわずかな空き地を開墾して、アブラナの種を蒔き、休日をあげて栽培にいそしむ。そうして、1年後、油を手に入れ勉強を再開した。

 

このように尊徳は早くから独立をはかった。何事も自力で物事を克服する人物になる。この考えを政治にも生かした。例えば、ある荒廃した地域を興す際、敢えてその地域に与えられていた金銭的援助を断ち切り、道徳教育を施し、忍耐強く自力で仕事に従事させるようにし、その地域を見事に復興させた。

 

こういうやり方で、日本の各所の経済的・精神的復興を成し遂げることに成功する。

そんな彼について、3点所感を述べる。

 

自力を大事にする

上に述べたように彼は自力を大切にしていた。自力を大切にするということは、その力を及ぼした対象を経験を以って理解し、自分のものにできるということである。自分のものにできるということは、自分のできることが増えるということである。現在、日本では「ラベル」の価値が下がり、相対的に「できること」がより重視されるようになってきている。だから、依存せず独立して自力で何かを成し遂げる経験がより大切になってきた。今を生き抜く生存戦略として昔も今も「自力」は大事なキーワードであるようだ。

「依存」にはリスクが伴う。そのリスクとは、自分の運命の手綱を他人が握るということだ。そして、その依存している相手の都合の悪いことはできなくなる。結果、自由が失われる。また、その依存している相手との関係が何らかの理由で破綻する、例えば、相手がいなくなったり、相手が取引先を変えたりすることで、自身の存在も危うくなる。依存は目先のことを考えると、すぐに力が手に入って楽ではあるが、長い目で見るとその代償は小さくない。

 

「万物には自然の道がある」

これは、尊徳の実際の発言である。尊徳は、農業を行う際、自然の道理には逆らわないようにしていた。道理を知り、それに沿うことで、上手くいくと考えていた。これは、今ではあまり親しみのない考え方である。今日では、科学技術と学問が発展し、人は巨大な力を手にし、多くのことが可能になった。そして、自然を見くびるようになった。気が付いたら、自然は地球温暖化という名の刃を人類に向けている。多くのメディアはそれが人類の滅亡を導くのではないかと報道している。もう少し温暖化の影響が顕著に表れ出したら、例えば南極の氷が全て溶けた時に、人類は自然との共存の道を選ぶようになるだろう。その時には、他にも砂漠化や食糧難等の悪影響が全世界を襲っているだろう。その時に後悔して取り返そうとしても遅い。自然は不可逆的であるからだ。故に、自然とは慎重に付き合わなければならない。

少々、話がずれた。万物にある、それらの物の根底に最初から流れている道理、という意味での「自然の道」について述べる。自然を訓読みすると「自ずから然る」となる。ここから察するに、本来その物に最も大きく働いている力学の方向とも言える。例えば、川の流れであれば、高い所から低い所に流れるのが自然の道理であろう。だとすると、ダムは自然の道理に逆らっていると言える。美女がモテることも自然の道理だ。ならば、化粧をしてその場しのぎで「かわいいをつくる」ことは自然の道理に反している。自然の法則に逆らうことは物凄い力を要する。ダムを建設するためには25年から50年程かかる。Vaseline(米国のスキンケアブランド)の調査によると女性の生涯に渡って、化粧品に費やすお金は3060万円もする。自然の法則に逆らうことはとても大変なことで相応の理由がない限りしない方がよさそうだ。だとすると、少子高齢化都市化地球温暖化、戦争、いじめ等々の長年問題視され続けている大きな力学が働いている問題はどう考えれば良いのだろうか。解決は諦めて「緩和」を目指すか、或いはそれらの力学にうまく「適応」するのか、両方か、、、自然の力を見計らって、自分のそれらの問題と向き合う姿勢を考えたい。

 

信念のテスト

 引用する。

わが先生は近づきやすい人ではありませんでした。はじめて会う人にはその身分に関わりなく、例の東洋流の弁明「仕事が忙しくて」を言われ、決まって門前払医にあいました。それに根負けしない人だけが、話を聞いてもらうことができました。来訪者の忍耐がきれると、いつも「私が助ける時期には、まだいたっていないようだ」とわが先生は語られました。

 これは、忍耐が大切というのではなく、もっと根本的な「信念」が大切であるということを言っている。信念があれば自ずと、それこそ「自然に」忍耐はついてくる。信念は明確な問題意識があって生まれる。明確な問題意識は、明瞭な言語活動によって生まれる。故に、身の廻りのことについて言語的解釈を施す習慣が必要だ。

 

次は、中江藤樹