自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

本とブログについてディベート形式で比較してみて、その活用方法を探る。

最近は、どうも情報収集源がブログに偏りがちだ。自分の欲しい情報が容易に手に入るため、易きに流れてしまい、本に手が伸びにくい。おそらく本に手が伸びないのは、ブログと比べた時の本の重要性をきちんと言語化できてないからだ。そこで、今回は、本とブログを取り上げて、情報収集の有用性はどっちが高いのか、本とブログは多種多様であるので無理があるのは重々承知だが、なるべく普遍的な特徴を捉えて一人簡易ディベートを展開してみる。

 

情報収集に利用するのは本の方が良い。是か非か。

 

肯定側

情報収集に利用するのは本の方が良い。まず、言葉の定義をする。ここでいう情報収集とは、リベラルアーツのための情報収集に限る。リベラルアーツの意味を以下のWEBサイトが載せているものに限る。

www.obirin.ac.jp

内容としては

複雑化した現代社会では、ある特定分野の専門的な知識が求められる一方で、幅広い知識を身につけ、異なる考え方やアプローチ方法が理解できるような総合力が必要とされています。リベラルアーツはさまざまな学問領域を自由にそして積極的に学ぶことで、実社会で活躍し豊かな人生を送ることができる総合力のある人間の育成を目標としています。

というものだ。

これをまとめて、今回は、

「さまざまな学問領域を自由かつ積極的に学ぶ方法によって、異なる考え方やアプローチ方法が理解できるという意味での総合力が身につき、そのおかげで、実社会で活躍し、最終的には豊かな人生を送ることができる人間の育成を行う情報収集の仕方」についてディベートを展開する。

 

本のメリットは3つある。

1情報の質の高さ

2体系的な情報の理解

3視野の拡大

 

それぞれ説明する。

 

1 情報の質の高さ

以下のサイトから

ブログ記事作成と本(出版)執筆の違いは?編集者さんからも認められる文章とは? | 100倍BLOG

情報の質についての述べる。

ブログから編集者の存在により以下の2点の質が高まると言える。

 

1.1分かりやすさ (「てにおは」「主語述語」「接続詞」を正しく使う)

1.2面白さ

さらに

1.3正しさ

 

を付け加えてもいいだろう。

 

1.1分かりやすさ

正確な日本語が使われているので、読み手は正確に文意を理解することができる。また間違った日本語を学ぶことが少ない。

1.2面白さ

面白さは情報収集の気概を生む。その気概が大きければ大きいほど、その情報は頭に残る。

1.3正しさ

ブログは間違った事実を用いても第三者からの校正がされにくいため、修正されない可能性が高い。さらに、ブログは公表した後に修正ができるため、間違いのない記事を書くという責任はあまり問われないが、本ではそうはいかない。これが、正しい事実を書くことを推し進める。

 

 

2 体系的な理解

本の目次を見ればよくそれがわかる。本は多くの情報を載せることが許されるので、より広く(3で詳細を記述)、より2.1「深く」掘り下げて本のタイトルについての解釈を施しており、さらに、それを分かりやすくするために、情報を 2.2「整理」して記述している。広さと2.1 2.2 の要素はブログより上だ。体系的に物事を理解するためには、2.1 2.2 の要素は必須だ。体系的な理解は情報の実用性を高める。実社会で活躍するためには、知識は実用性のあるものでなければならない。

 

3視野の拡大

本には主題とは関係ない情報が書かれていることが多い。そのため視野の拡大を推し進める。

 

これから「視野」「視点」「視座」と三つの言葉を使い分けるので、ここで定義をしておく。

 

「視野」:どの分野を見るか。関心領域のことを指す。

ex 教育 文学 音楽 政治

「視点」:どの点から見るか。関心領域についてどの視点から考察するかを指す。

ex タバコについての見解だと、
心理学的視点「ストレスの発散になる」
社会科学的視点「タバコは非行の始まり」
実践知的視点「お金の無駄遣い」
経済学的視点「国へ経済的な支援のため」
環境保全学視点「ゴミ」

といった感じ。

「視座」:どの高さから見るか。

ex タバコについての見解だと、

タバコを吸ってる人「タバコを吸うのは心地よい」

JT「タバコを売ることで多くの従業員の雇用を生んでいる」

国「たばこ税に感謝」

WHO「年間600万人がタバコによって殺されてる」

といった感じ。

 

以上

 

幅広い分野の知識を得ることを意識的に行うのは困難だ。なぜなら、人は興味が湧くのでその分野の情報を収集するからだ。その興味というのは限定される。ゆえに、どうしても偏る。したがって、自分の興味の如何に関わらず様々な分野の情報が入ってくる環境に身を置くことが必須になる。本はその環境に適している。

 

否定側

言葉の定義は肯定派に従う。

本とブログの定義を付け加える。本を紙媒体であり、売上を重視したものであり、著者一人の考え方が主に記載されているものとする。ブログは、広告収入を意識していないものであるとする。

 

本の短所として以下の3点が挙げられる。

1.手軽でない

2.視点・視座の限定の可能性

 

 

①.手軽でない

実社会で活躍するということは、忙しいということ。忙しいと満遍なく情報収集ができかねる。実社会で活躍する読者は、最低限必要なレベル(深さ・視点・視座)で情報収集することが求められる。その最低限必要なレベルというのは定めるのは困難だ。このレベルを定めるためには、二段階の情報の収集の仕方をする。まず、その分野の概要を把握する。次に、その情報の一部について深く掘り下げて調べたり、異なる分野についての情報を得る必要性が生まれてそれを調べたりする。概要を把握した後、もっと深く或はもっと広く収集しなくてはならない情報があることを知るからだ。

これらの作業の際、本を使っての情報収集であれば多くの無駄が生まれる。まず、概要を把握するのに、本に書かれているほどの情報量は必要ないことがほとんどであること。次に、本来必要性の生まれるはずのなかった情報についても入手してしまう。費用対効果の小さい情報収集を行ってしまう。時間を無駄使いしてしまう。そうして、本来、実社会で活躍するためにもっと有意義に使えたはずの時間が失われる。

 

②.視点・視座の限定の可能性

本は、主に1人の著者の視点・視座によって書かれたものである。ゆえに大量の情報の割には、視点・視座の数は少ない。ある分野においての情報収集の時間は限られている。ゆえに、ある分野について把握すべき視点・視座少なくなる可能性が高まる。

 

ブログでの情報収集であれば、これらのデメリットはなく、さらに3点のメリットがある。

 

1.手軽

短い時間に必要な情報を必要な分だけ入手することができる。ゆえに実社会で活躍する忙しい人に向いている。

 

2.視点・視座の網羅

ブログで情報収集を行うと、一つのブログに割く時間は短時間で済むので、様々な人の視点・視座での情報収集が可能になる。

 

3.自由度の高さ

本であれば売上を重視しなければならない。そのため「売れること」しか書けないという制約がかかる。ブログであれば、どんなテーマについての記述可能である。例えば、今取り扱っている「本とブログの違い」というテーマについての解釈は情報収集する者にとってそれなりに重要であろうが、これはページ数が少なくなって本としての体裁が成り立たないため出版不可能である。自由度が高いことで、本では見つけることが難しい「重要だけど商売にならない」情報を早く見つけることができる。

 

第一反駁 肯定側→否定側

 

Attack to 

①.手軽でない

ブログで情報収集すると、よく内容がダブっているものを見る。そのダブりの要素を読むのは時間の無駄になる。本であれば、ダブりは少ない。そのダブっている箇所を読む無駄な時間と読者の必要としていない内容を読む時間はさほど変わらないのではないか。もっと言うと、ダブっている内容を読むことと、読者は必要としていないが、知らない情報を入手することは、どちらの方が価値のあることであろうか。さらに、そもそも、ここで読者は、読者にとっての概要が最初から認識できている前提に立っているが、概要は縦横無尽な情報収集があって全体像が見えてからやっとはじめて認識できるものであり、おかしい。故に、読者は最初から概要の把握はできないので、否定派が提案した情報収集の仕方は一段階目で破綻する。さらに、仮に概要を把握できたとしても、情報の必要性はどれほど分かるのであろうか。否定側の理屈は机上の空論、否、ただの空論である。

 

Attack to 

1.手軽

必要な情報のみを入手する必要性は仕事の上では重要だが、リベラルアーツ的な学びを行う上ではそこまで重要でない。なぜなら、必要性は自分が決めることであり、その意思決定には関心があるかどうかという基準が欠かすことができないため、関心に基づいて必要性が決定される点でどうしても偏りが生じるからである。偏りは幅広い知識を身につける上で弊害となる。

Attack to 

3.自由度の高さ

自由度の高さはさほど重要でない。売り上げに繋がらない情報は、得てしてニーズの小さいものである。ニーズの小さいものは、実用性に乏しいということだ。実用性乏しければ、実社会で活躍するためには不必要なものである。寧ろ、収益性を考えて自由度を小さくし、情報をふるいにかけて、実社会で活躍するのに役立つ情報を集める方が重要だ。この点で、本の方が勝る。

 

第一反駁 否定側→肯定側

Attack to 

1.1分かりやすさ

ブログは情報量が少ない。少ないがゆえに、疑問が生まれ、自身で検索をかけて、積極的な学びが行われる。そうして、行われた積極的な学びで得た知識は有機的な繋がりを持つ。なぜなら、疑問を生んだブログと疑問を解決したブログとの間には、自身の思考が存在しているからだ。こうして自分で考えながら情報収集を行うので、ものごとがよく分かる。確かに文の分かりやすさでは劣るかもしれないが、このようなもっと深い次元での「分かる」においては負けていないかも。(本当は、反駁で新たに意見を言ってはいけなんだけど、、真理に近づくためのディベートなのでご愛嬌)

Attack to 

1.3正しさ

時間が変われば変わる事実がある。時間が経てば重要でなくなる事実がある。紙媒体の本だと修正が効かない。ブログだと修正が効く。さらに、ブログでは、他者からのコメントをもらえるので、第三者による校閲も可能なことがある。人気なブログであれば、もし間違った事実を書いても、誰かがコメントをしてくれて、修正の機会をもらえるだろう。

 

 

ここでディベートは終わりにする。第二反駁まで考える気力がない^^; 本の方が情報収集の有用性がありそうだ。

前回も述べたがディベートを行う意義は、弁証法により高次の思考、つまり真理を導き出すことにある。ありきたりだが、、、自分が導き出したのは「使用用途にしたがって本とブログを使い分けるのがよい」だ。

これから、自分なりのブログと本の利用の仕方について3点だけ記述したい。

 

1.本は普遍的な学びのため。ブログは可変的な学びのため。

普遍的なことを学ぶには本がオススメ。普遍的なことは重要度は高い。だから、がっつり学ぶ必要性は高い。ゆえに、情報の質が高く、量も多く、さらに体系的な理解ができる本が向く。

一方でブログは可変的なテーマについて学ぶのによいだろう。可変的というのは、例えば、時事ネタや食レポといった、事実が変わる可能性が高かったり、人によって解釈が多様なものであったりするものである。ゆえに、即時性があって修正が加え易く、様々な人のサンプルを収集して帰納法的に結論を自分で導きやすいブログが向く。

 

2.本は視点と視座に気をつけて。ブログは視野に気をつけて。

本とブログで相互補完的に理解をすると良さそうだ。本は視野を狭めず、ブログは視点と視座を与えてくれる。

 

3.ブログで浅く。本で深く。

ブログはその分野を知るための導入だ。本は本題である。

 

 

 

おわり。