自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

「本質」という言葉が嫌い

「本質が大事」だとよく言われますが「本質」という言葉が今は好きではないです。
「本質」を知らない人がこの言葉を使って、人を騙したり、会話がずれたりと、色々な残念なことを目にすることがあったからです。(僕もそのうちの一人です)

 

なぜ、そういうことを見てきたのか。

それは、この言葉が「曖昧」で「便利」で「強力」な性質が起因しています。

「曖昧」から順につらつらと述べてみます。

本質という意味は、「表層でない」という意味からははみ出さないものも、「表層でない」部分のうち、どこを指すかは文脈によって異なります。

例えば、

就活をしていると、だいたい①ボトルネック潜在的なニーズ ③ 構造 のいずれかで使われることが多い気が。

評論や哲学といった分野では、①それがそれであるために最低限持たないといけない性質 ②根本 ③ なんらかの深いところにある共通するもの

といった具合でしょうか。意味が被っている部分もありますが、そこは今度、また精査します。

議論をする際、文脈を理解しながら、どれを指すかが判断できるコミュニティーであれば別に苦労をしないものも、僕の周りのほとんどの学生の場合だとそうはいきません。大体が「本質」という言葉を使い慣れていないので、そもそも「本質」が特に様々な意味を含む言葉というのが分かっておらず、「本質」と言った時点で、思考の道筋が一時的ですが分かれていきます。分かれてしまったら、それを具体的な言葉で言い換えてから、軌道修正をして、、、、時間の無駄でしかありません。

 

こんな効率が悪くなりやすい言葉なんですが、グループディスカッションのように評価される場では「便利」なんです。「本質」と言った本人はなんとなく自分の行きたい地点を分かっていて、それを指すために使います。これから議論で目指すべき、あるいは明らかにするその何かに大体自信がない時に、色々な意味を含む「本質」を使えば、間違える可能性は低くなります。仮に、その人の考える「本質」は考える必要がなくても、聞いている側が勝手に正しい「本質」に変えてくれる。しかも、この言葉を使っていれば「頭いい感じ」がしてアピールできる。やばいっすよね。

 

そういうことがありますから「本質」というのは就活の中では「わからないけど絶対的」になります。そういう意味で「強力」すぎる。この言葉を人事が使ったらさぁ大変。社会人経験を積んでいる人事は学生の知らない世界を知っている、そういう背景から学生にとっては人事は「神」のような存在です。その神が「◯◯は『本質的で』〜」と中身はわからないけどただ素晴らしいということだけが分かっているおつげ(本質)を唱え、その刹那、僕らは虜になります。「あぁ、この会社は本質をわかっている会社なんだ」と、格が上がるのです。詐欺をしたい人は、無知な学生に「本質」という言葉を使うことをオススメします。

 

さらに、「本質的でないものはダメ」という常識が就活界隈ではありますが、そもそもそれが間違っている。例えば、警察。犯罪が起きてから対処を行っている時点で犯罪に対して本質的なアプローチができているのか。商品で言えば風邪薬。対症療法だけど、具体的な状況に応じて必要になる時もありますよね。「本質」ということだけに「価値」は付されません。具体的な状況に応じて「本質」の価値は大いに変動します。それがわかっていない学生が多すぎる。

 

そんあボヤキを面接前につらつらと。これはきちんと書きたいなぁ。