自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

ADHDが新卒で会社に入るということ

新卒は最初の数年間は使い物にならない。

短期記憶能力の低いADHDにおいてはなおさらだ。

さらに衝動性のあるADHDは容易に離職する。

会社にとって当該気質を持つ人の採用は賭けなのである。

そんなリスクを背負いながらも会社は彼らを雇う。

面談の時に語った彼らの熱意を信用して。

キラリと光った才能が開花することを望んで。

時には、情けとして。。。

僕らは、それらに感謝をするのである。

そうして誠意を見せなくてはならない。

恩返しができないからだ。

単純な作業ができず、

言われたことを把握できず、

空気が読めない。

ものを無くし、

時間は守れず、

すぐに忘れる。

最初に唯一新卒ができるようなことはほとんどできず

さらには迷惑をかけ余分な仕事をさせてしまう。

工夫して直そうとしても十分なほどに達する人はわずか。

だから、精一杯申し訳なく思うのだ。

心を込めて謝罪をした後、先輩にきちんとしたお礼を、そして自分の少し成長した姿をきちんとお見せする。

こうして、愛嬌のある後輩になる他、生存し得ないのだ。

定期的にプラスのことをやってみる。

意味はないかもしれないけど会社の迷惑にはならないプラス1を。

自分の扱い方がわかるような説明書をつくる。

毎日自分の反省を書いた日記を公開する。

新規事業や業務サイクルの改善等の案を提出する。

僕らは人より何かに劣る分、自然に意識が高くなる。

その意識の高さを公開するのだ。

それが職場の士気を高める。

ぼくらは、それくらいの覚悟をして職場に入らねばならない。

雪山に登るような覚悟をするのだ。

常にきつく、常に冷たく、常に危うい道である。

頂上は見えず、進んでいる道は正しいのか、降りるか降りまいかの自問自答が繰り返される。

降りれば皆から見下され、それもまたつらい毎日だ。

楽に登れる山はあるが、それもまた見下される。

高い低いなんて気にしない。

そんな思いも娑婆に出ればすぐに打ち消される。

だから、気力のあるうちは雪山を登り続けるしかない。

それが僕らの歩み方だ。