自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

健常者と障害者、お互いが無理をしあってこそのインクルーシブ

インクルーシブってのは健常者と障害者が歩み寄ってお互いに「少し無理をする」考え方だ。秩序形成の為には平均(健常者)を基準にしなければならない。それは平均外の者をハブる行為であって、健常者として生まれ秩序の中で生きる以上、原罪を助長する行為に加担しているから「申し訳ない」と思うんだ

 

逆に障害者側は自身が社会の秩序安定の為には不都合な存在であることを自覚する。だから積極的に秩序側に歩み寄ろうと努力する。そして健常者が色々な矛盾が生じるにも関わらず少しずつ無理して秩序を改変してこちらに歩み寄ろうとしてくれることに感謝する。だから本来僕らが愚痴は言えない。

 

こうやって、お互いがお互いに誠意と思いやりを持って、そして敢えてこんなことを言わない粋な計らいによって出来上がる社会がインクルーシブ社会だ。だから障害の「害」は僕らがそれをきちんと自覚し社会に誠意を果たせるように書いておいて欲しいし、健常者側もいちいちずっと気を遣っといて欲しい。

僕はこうやってお互いが精一杯思いやってお互いが「きつい」と嘆く、そして、それをお互いのせいにしないで自分のせいにする、一見非効率で停滞している状況こそが理想だと思っているから、「障害が言い訳」の案件に関して、コメントした障害者側は自分の立ち位置をわきまえたほうがいい