自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

うまくやろうとしながらもうまくやろうとしてはダメなこと

人生には波がある。これにどう対処するかというのは誰しも悩むところ。

意識してしまうのが、波が負の循環に陥らないためにどう工夫をするかというところだ。

ここに関して考察をしてみた。

下の写真は「生きる」の図である。

まず、よく言われるところの「客観的に見ろ」というのは、その時の自分の理想と現実をよく理性的に見て、最も最適な自分のあり方を模索しろという意味である。しかし、この理想と現実をよく理性的に見るというのは、また1次元上の理想の話である。そこで、また問題が起きてくるのが、一次元上の理想に対しての現実的な理想をよく把握し、その中で、つまり理想的理想と現実的理想を定めた上で最適な塩梅のある自分のあり方の模索、言い換えれば、理想的理想的理想を考えなくてはいけない。これは無限に続き、バランス良く生きるというのは不可能な話であることが分かる

f:id:bb40112082:20181111111344j:imagef:id:bb40112082:20181111111350j:image

 

そこで、バランスをわきまえて生きる、とか、理想を掲げるとか、そういう「うまくやろうとする」意識の中でものを考える限り、うまくやれないことがわかる。

だから、自分の頭の中で論理的に考えるのはやめて、過去自分が上記のように波がなかった状態、つまり「うまくやれたりうまくやれなかったりしなかったバランスが取れていた状態、つまり波がなく一定の状態」を探してあげるとヒントが見つかる。

そんな時、自分がゲーム中毒になっていた時や最近のforestを入れて、自分が盛り上げってテンションが上がって熱狂的に人生を生きていて客観的に自分を見れていない感情的衝動的自分が一定の状態であったことに気がつく。ここから、ただ今に熱中すると、その点の次に向かうと予想されうる傾きが一定になるのである。数式に表すとy=ax+b(ax)みたいなのが人生の波の方程式であるのだが、yは社会的価値(時間軸が基準)であり、aは環境により定められるもので、bというのは現状に対する見方によって定められるのである。(-1<b<1)例えばゲーム中毒になる手前はaがマイナスでありbはプラスつまり「なんとかしよう」という意識があったのである。だから、徐々に波が下へ下へと落ち込んでいった。下へ落ちれば落ちるほど、aをマイナスにする環境に身を投じる。ある時、「もうゲーム(現状)に没頭しよう」とbをマイナスにした。すると、ゲームの中で健全な意識が芽生え始めた。これはマイナスにマイナスがかけられたので意識がプラスになったのである。しかし、aはマイナスであり、こちらの方が作用が強いので依然としてy(社会的に見た価値)はマイナスではある。ある時、aに変化がありプラスになった。するとyは上昇したが、現状に対しての見方は最初は否定的であった。ゲームをしていた時が最も良かったとなぜ変わらなければいけないのかと疑問に思うところもあった。

forestもすこし最近うまくいかなくなり始めた(yの低下)を感じた時に、すぐbをマイナス(現状肯定)に切り替えることで負の循環を防ぐとともにaがプラスの環境に身を投じた(forestの使用)のである。

 

こう「一定になった」経験から考えると調子の波はy=ax+b(ax) -1<b<1だということが分かる。

 

この数式を見る限りaが大事になってくる。aがマイナスになればbの限界は-1なので、対処のしようがないのである。そこで、aがマイナスにならないような工夫をaがプラスの時に施しておくのが大切となってくる。aは時間軸によってプラスマイナスが定まるので簡単にマイナスになりうるのを踏まえておくと、aがプラスになった時に次にマイナスになった時にすぐにプラスに引き戻せるような手立てをしておくのである。それは、プラスの時にプラスを抑えることである。プラスを抑えることで自分がマイナスになった時でも簡単にできることしか自分に回ってこないようになるので、簡単にプラスへの復帰ができる。つまり「あえて弱々しく」生きるのである。こうなると、自分の中で余裕ができた空白の時間をどうするかという問題が起きる。その問題は、自分のパイ(できること)の底上げを行うのである。そもそもの力の底上げを図る。例えば、論理や記憶や言葉を鍛えたり、世の中の道理の習得例えばいまやっているような根底にある法則の発見に努めたり、即効性のない根本的で分かりにくいこと本質的なことに時間を費やすのである。そうして、自分の底上げを行い、後ろを振り返ってみれば自分が成長を実感するのである。

さらにこれには裏技がある。環境(カオス)によりaのプラスマイナスが決められるのだが、環境(カオス)の捕捉の仕方はbの次元上昇/リフレーミング次第で変えらえるのである。結論を先に言えば、今が一番素晴らしいと確信することで、aは無限にプラスになる。これは、その思い込みをねじ込むことでも可能だが、理論的にもそう説明できた方がより強固なものになる。過去を振り返ればゲーム中毒になったことは、現在の次元上昇した自分を生み出した。その過去最悪の不誠実な生活は、間違いなく今の素晴らしい自分に近づくための必須の経験であったのである。ゲームですらそうであって、他の全ての経験・出会いは自分の人生の最適化のために自分の眼の前に転がってきていると言える。これまでの右往左往の人生体験もその最中にいる時は、不安ばかりであったが、その右往左往があったからこそ、今の最高峰の自分がいるのではないか。あるリーダーとして、いじめられっ子としての、芸人としての、やんちゃとしての、そういった色んな自分をよく知るためには、ある程度の時間的質的蓄積が必須で、その蓄積がある程度を超えたから、別の成長したと思われる自分へ移ることができたのである。ゆえに、今一番必要なことが、実は今目の前に転がり込んできているのである。今、一番必要な自分に今自分がなっているのである。それは今、望んでいない自分かもしれないが、今望んでいる自分になるために、重要なことなのである。こうして、全ての自分の経験から学べば、明らかにどんなに苦しいことがあっても悲しいことがあっても、その瞬間は一番自分にとって大切な瞬間で、一番自分がより求める、そして一番幸福を感じる、自分になっていくのである。それは、今を生きている上じゃわからないようになっているが、未来の自分は知っているし、その未来の自分を考えるのは今の自分であるので、実は自分は今が最も必要で大切で至福な状態になっているのを知っているのである。

 

これらを複雑なまま把握し生活するのを通常としたいが、ふとした時には対応が難しいかもしれないのでその時用の標語をもっておくのが大切で、それは

「不安を感じたら引き受けるな」

「自分の最大は7.5割だ。短期ではなく長期で見たら今を7.5割で頑張るのが最大だ」

「熱狂と冷静を常に住まわせ、出し入れに注視しろ」

「現状肯定と現状否定を常に住まわせ、出し入れに注視しろ」

と言える。

 

そして、最も大切な悟りは「今が過去一素晴らしい自分」であるという事実である。