自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

大切な日

昨日は大切な日だと思った。

でも今は昨日のことなどとうに忘れている。

忘れてはいないが、昨日ほど精神が溌剌としていない。

これは精神が研ぎ澄まされていないからか、

わからぬが、平凡だ。

兎にも角にも眠い。

寝ないとどうしようもない。

 

起きた。どれくらい眠ったかな。1時間半眠った。

すっきりしている。

昨日のことはとても大きなことだと思っていた。

ツイッターでも書いたが、

薬を飲み始めて、自分が変わった。それは、これまで生きてきた、自分の、、、

ここまで書いてツイッターを読み返した。

そうだ、初心を忘れてはいけない。

涙が出るほど感動し、魂が震えるほど確信した、あの夜を朝を鮮明に脳裏に叩きつけるのだ。

夜、西部先生と佐伯先生の昔話を聞いていた時に、沸き立ったのだ。

西部先生は佐伯先生に「人が大切な話をしようとしている時は、絶対トイレにいくな」と叱責したり、遠くから友人が来た時は必ずご飯の時はこちら側が全額お支払しろと指摘なさったり、そういう関係だったという様子を見て僕もそれに心から憧れたんだった。

そうして自分の人生を振り返った時、僕もそういう関係の中にいた頃をよく思い出し、懐かしんでいたことに気がついた。どうして何度も想い出すのか考えると、まず憧れの生き様にずっと触れることができていたのと、自分が見たかった世界の片鱗が少しずつ見え始めたのが自分にとってたまらなかった。自分がそこに近づいているかわからないが、自分がその景色をみれていたことが本当に望んでいたものが手に入りつつあるという高揚を沸き立たせた。

そんな懐かしい過去を思い出すと、もう一つ思い出したのがインドネシアに遠征に行った時の頃だ。初めての本格的な海外遠征で、目的は好きな女の子のためかサークルのためかわからないが笑、ただひたすらに努力をしていた。だれよりも自分はその遠征で努力できた自負があった。そうして、遠征に行き、12度目は成功し、3度目の講演。突然、予定が変更になり、自分の発表の部分が変更になった。自分は懸命にその部分を練習したが、どうも間に合いそうにないことがなんとなく感じられた。もしかしたら間に合ったかもしれないが、本番前においてはいけそうだと思う気持ちになっても、本番ではうまくいかなくなるかもしれなかったので、自分はそこから離脱した。とても惨めだったし、あの時は「ホッとした」ような感情はほとんどなかったと思われる。なぜなら、発表を僕はしたかったからだ。そうして、それが終わった後にみんなでお酒を囲んで、宴を行った。あの時の思い出が誇らしいし、輝かしい。

この二つの思い出が僕にとって至福だということが自覚せられた時、僕が本当に望んでいるのはこの思い出の中にあるものだということに気がついた。「無我夢中」と「敬するものへの接近」と「勢いのある他が為」である。この三点セットが未来の自分が振り返った時に探し誇るエッセンスである。自分が描きたいストーリーのだしである。

こう考えて、寝た時に突然、他人の意識が入ってきて気がついたら自分の手で自分の首を絞めていた。ショックだった。何かの暗示かと思った。そうして朝を迎えた。

朝起きて、昨日のことを思い出すと、自分が薬を飲んでいることへの罪悪感が溢れ出てきた。確かに今はうまく行ってはいるが、それは昨夜自分が行ったように、未来の自分が今の自分を振り返ったら今を誇れるのだろうかと、輝くのだろうかと、我が子に話したくなるものなのかと、、、そう考えるととてもとても悲しくなった。自分の人生が台無しにされた気がしてきた。僕は、これまで恋愛、友情、流行等、様々なことを犠牲にしながら勉強や自己成長に励んできた。それは自分のこのADHDの質が自分の人生を今後も引っ張り続けることが分かっていたからだ。だから、誰よりも自分のできる努力をせざるを得なかった。頑張っている時の僕は、周りから見れば一つの価値しかみることのできない無味乾燥な奴だけど、未来の自分からみればその必死な姿、真っ直ぐな生き方は賞賛に価する。敬意すら生まれる。そういう風に生きてきた僕の尊き魂を薬が愚弄しているような気がしてきたのだ。また自分の個性を認め、信じ、教育をしてくださった方の想いも踏みにじってしまったように感じた。自分が本当に恥ずかしくなった。なんてことをしてしまったのだと。そう考えると涙がポロポロ流れた。綺麗な涙だった。その涙は僕が流したい涙だった。心の穢れが洗われるような涙だ。涙を流した時に、自分の本心が分かった気がした。自分は気高く生きたいのだと。清く正しく美しく生きたいのだと。そうやって生きてきたのに、自分は自分の力ではないものに手を出してしまったんだと、色んな人の想いを踏みにじり、過去の自分の想いを裏切ったのだと。

それから想いが加速した。そんな薬を僕は他人に紹介してしまったのだと。なんのリスクを伝えることなく、そしてそこに考えをめぐらすことなく、他人の人生を台無しにしかねないことをやってしまったのだと。「思慮が足りなかった」では言い訳の効かないことをやってしまったのだと。そう考えると自分が偽善者であるように感じてきた。

「人のためになんかいいことやっている感」が好き、「人のためになんかやっている自分が好き」で実のところ他人に一切興味がないことが感じられた。それが自分をもっと苦しめた。「誠意」がないのは、それはもちろん実は他人のことをそんなに大切に思っていないからだと、好きでないし、興味がないからだと、そんな自分が他が為になんてことを言うなと、そんな自分が他が為に行った言動は逆に他人を不幸にさせるかもしれないんだと。より惨めに感じられた。

そして、こんな惨めな想いをしたくないと誓った。心を誠意で充し、どんな人にも真剣に付き合うと。自分の都合を後にしてしまう人になると。あの人のようになると。

今日からまた自分が自分を取り戻した1日が始まる。

この初心はどうしても忘れやすいようだ。さっきも忘れてしまっていたように。自分は、鬱になった時の記憶を思い出すと、いとも簡単に易きに流れる。だから、簡単には誠意のある人間にはなれない。それをきちんと自覚するんだ。そうして、無理せず、ダメな自分を受け入れながら、愛しながら、でも初心は必ず逐一確認して、そこに向けての熱量を絶やさず、やっていくのだ。意志をまっすぐに熱く燃やし、戦略は俯瞰し冷静に立て、弱さはおおらかに愛してあげる。分裂しそうな精神を絶妙な配置でうまく組み合わせ、時の変化に従って常に重心を調整する。複雑なバランスが必要になるが、それを引き入れ楽しむことで今をなんとか乗り越える。そうして出来上がった一つの芸術に未来の自分は酔いしれるのだ。

さて、今日も1日が始まる。端的に言えば、無理せず無理しろ。気楽に真面目にやっていきたまえ。

ストラテラ処方録⑤ 家に戻る。気分も処方前に戻る。

10月7日 空港泊

◯会社の企画内容を半日にでほとんど作ってしまえた。鬱になった期間が一番尊いことに気がついた。涙が出るほど自分と向き合うことができた。

 

△企画のことが頭から離れなかった。座禅をすると少しだけよくなった。切符をなくして2000円はらった涙 佐賀の駅のホームでは作業が進まなかった。自分の歩んでいる方向、土台をしっかり確認していなかったため。電車を一つ逃した。

 

*交通費を余分に支払ったら悔しさをバネに真剣に自分と向き合い、真剣に今すべきことに取り組めるスーパーサイヤ人状態になってしまうんだって。

 

何事もやはり「誠意」と「思いやり」。人が大事な話をしようとしている時は絶対トイレにいかないし、遠くから友人が来た時は、最高の形で出迎えてあげて最高の形でもてなしてあげる。それくらいの「誠意」と「思いやり」を持てているか確認を怠らない。

自分の修養である。

 

10月8日 誠意にあふれた日

◯心を洗えた日。後輩としっかり一緒にものを考えることができた。洗い物を干した。

△感極まって自分は変わらない人間であることを忘れた。詳細は別のブログに。誠意はあった。

 

10月9日 戻った、、、けど、うまく対応している。自分のことをわかっている。

◯自分の誠意について確認した。無理しすぎないことを確認した。初心を忘れないように決意した。やることをリストアップした。自分の気分に合わせてできる行動をとった。髪切りにいった。研究を少し進めた。ビジネスアイデアがたくさん浮かんだ。お皿を洗った。領収書を送った。やる気の出ない時は音楽を聴くなどの工夫ができた。人の話を素直に聞けた。

△早起きによる高揚とした気分が落ち込んできた。坐禅中に眠気が。本を少しでも目を通したかった。

 

10月10日 変化があった自分に上手に対応。

◯朝うまくいかなかったけど、それに惑わされすぎることはなく、達観したようにあまり問題に感じないように、そんなもんか、みたいな対応をできたのはよい。光熱費を計算した。昼から時間通りにカウンセリングにいけた。水道料金の支払いを行った。水道料金の停止に対しての対応は見事だった。カウンセリングもバッチシだった。カウンセリング後、少しの睡眠を取り、出来るところまで研究を進めることができた。家賃を支払うために研究をちょうどよい時間に切り上げて家に通帳を取りに行くことができた。

家に帰ったら、根性をを出して、所有権移転の勉強をすることができた。料理した。薬の飲み忘れにギリギリで気がついた。

△  座禅が集中できなかったから外で座禅した。比較的調子が上がらない感じがした。家賃払うため家に通帳を取り行ったが、通帳を手に取ることもなく家をまたでた。会社のラインを止めることができなくて寝る時間が遅くなった。

*結果ではなく心的負荷を一定にすることを意識するとうまくいく

 

10月11日 一番にすべきことに向き合いたくなかった日

◯ 早起きできた。不意に思い立ってリーチが伸びそうなfacebookページをつくった。

気分が上がらない中、15時くらいに学校にいけた。研究もした。音楽が効いた。就活自由化について考えた。ラインで会社のHPづくりに精を出した。

△ この日は序盤はダラダラが多かった。すべきことをしたくなかった。そこへの不快感が少し強かった。ゲームがしたくなった。「根性」を思い出した。質問箱にはまった。

 

 

会社関連

「幸福」「愛」という言葉に対する他人の誤解

→へんな目でみられたくない気持ちはある

 

宿題について考え込む

→みんなでちょうどよいくらいの貢献度を。頻度として。

プラス、自分のなりたい姿。真理の探究を続行。

並行してできることを考える。

ストラテラ処方録④(ADHDさが溢れる)

10月4日 内定式のため東京へ

◯3時過ぎに起きて準備やいつもの儀礼、情報収集。ひらくPCバックにより移動中の財布の取り出しなどが容易に。移動中、ずっと読書と情報発信。飛行機に比較的スムーズに乗れた。空港に着き珍しくやる気が起きなかったので40分の座禅。もやついて引っかかっていた何かが取れ、読書に集中し始めた。猫の安請いをフォローできた。

△出発時間が遅れ、さらに駅について朝食を買っていたら乗車予定の電車に乗り遅れた。睡眠少なくていけるかと思ったが、電車の中で浅い睡眠。さすがに非効率。毎度、最初のチェックの時にスーツケースを受付に置いたまま離れてしまう。シェアハウスの猫の保護を安請いした。副作用が効いて腹の不快感から眠れなかった。1時から2時くらいまでダラダラ。タオルと寝具を忘れた。準備不足。

*無気力になった時、強めの座禅を行うことで洗われる。

10月5日 内定式当日 (ADHDけが最大化)

◯朝から自己紹介の練習のため内容を考え練習。動画を撮りながら本番さながらできたの可。

△内定式に遅刻した。詳細は以下。練習に集中しすぎて、2度乗車予定の電車を乗り過ごした。(乗る必要がなかったからというのもあるが) 電車が止まって、「待っておけばなんとかなるだろう」という楽観と「今のうちに練習できる」という「やりたい」が優先して、15分ほど同じ駅に滞在。JRに乗り換えて、JRも遅延していたにもかかわらず、遅延を考慮した電車の情報を表示しないナビタイムのスケジュールを過信し、間違った電車にのった。電車にのっている間、練習に集中しすぎて、駅を降り損なった。あまり時間が十分になかったが、体を洗わず内定式に参加するのはよくないと思い、ネカフェに行った。後先のことを考えず、「とりあえずシャワーだけ浴びたいので」と店員にいい、キャリーバックを開ける十分なスペースがないところを最初は選択をしてしまった。シャワーをゆっくりあびた。ネカフェから出る時、ひらくPCバックを店内に忘れてしまった。取りに行って会社に戻る時、携帯を忘れてしまっていたことにきがついた。

遅刻して内定式に参加すると皆スーツを着ていた。「ジャッケっト着用」とあって若干の違和感を覚えたにもかかわらず確認をとっていなかった。違和感に敏感になれなくてあれだけ反省したのに、、、それを引きずって、内定式は聞くことに集中できなかった。自己紹介では、練習したものが完璧なものにならなくて不安があり、その前の社長の話に「感」が大事だいう話が僕の不安を後押しして、結局自己紹介は用意していたものではなくよくわからないその時にアドリブでつくったものになった。きちんとアドリブでも話すことができればそれでよかったが、話すことができなかった。ここはどっちもどっちかなぁ。ただ、コンテンツが複雑かつ詰まりすぎていて、非現実的だということは薄々分かっていたにもかかわらず、本番は話すスピードがゆっくりになってしまうということを把握していたにもかかわらず、内容があまりにも自分的にいいものだったので、変更ができなかった(執着)。自己紹介のミスをその後も引きずり続けた。一度ミスがあった時、切替えができず、ずっと引きづり続けることは会社での仕事に影響が出るので、本当になんとかしたい。心から後ろめたく恥ずかしく思わならければならないが、その思いに誠実に向き合えば、次の瞬間の結果で返さなければならないと思えるはず。真剣に誠実に自分のミスに向き合い、周りと自分のことを考え、適切な行動選択を行う。ここを徹底する。この会社は自分のありのままでいれるから思わず、自己中になってしまうが、、、ありのまままというのは利他の上に成り立つものであるから、周りの空気もしかと読むようにしたい。

飲み会では自然にふるまった (調子にのった) 。結果的にウケたのでよかったが、突っ走り過ぎた感はある。

 

雑記

家でノロノロやるよりも外に出て人の目にさらされる場にて自己表現を行うということ、緊張する場に出るということ、を何度か繰り返すと、やはり反省の質、量が変わってくる。現在の僕は知識や思考を蓄え、真理なるものの探求に勤しんでいるが、まず第一は修己なので、実践の場に身を投げ出す機会を、その場に興味があまりなくとも、意識的に増やしたほうがいい。ゲームにしてわかったが、身を以て経験したことは実感を強く伴って体に定着するので、煩わしさや不安はあるが、頑張ろう。

 

10月6日 (ADHDのけが出過ぎ始めている)

◯友人宅にてそこそこ気を遣えた。夜中完成した企画案を夜中に共有しなかった。

△待ち合わせ時間のギリギリまで待ち合わせ時間で披露する予定の企画案を考えていて遅刻した。慣れない東京だから余裕を持って行動することを覚えて。飲み会で少し話しすぎた。ありのままでいいとはいえども他人への配慮を。名前やその人の生まれなどを覚えようとする気概がない。飲み会中の内定者のラインに返すことができなかった。

どの電車に乗るかの選択が早計だった。服を新ちゃん宅に忘れてしまった。

*精神が興奮状態のときに、一つのことしか見れなくなる。アラームをかけるなどして、定期的に一息落ち着く時を生活の中に設けるとよい。30分おきに自身を俯瞰する時間を。