自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

志を棚置きするということ

学生時代に色々と頑張った。

立派な人物になることを夢見て。

結局、十分な結果が出せなかった。

自分の怠惰と能力が原因で。

何度も今日から変わると決断をした。

意識さえ変われば能力の伸びは埋め合わせできると信じた。

けれど、高い意識は長続きしなかった。

失敗を繰り返し自分を信じられなくなった。

そうして迎えた就活。

 

ダメな自分を認められなかった。

だから高望みをした就活。

身の丈に合わずうまくいかない日々。

折れた。

高い志に達するのに、まだ十分な器を持っていないことがわかった。

いったい自分の本当の器ってなんだろか。

 

意識の向かっている方向とその力強さのことを自分と呼んでいた。

しかし、意識している所には達することができないことが薄々分かってきた。

認めたくない。認めたくないけど、自分の過去は認める他ないと告げている。

認め始めた。

できない自分が浮かび上がる。

汚くて弱い、頼りない自分が見えてくる。

その自分の就活は暗い。

どこの会社に行っても、自分の仕事の様子を想像すると憂鬱になる。

自分の未来はこんなはずではなかった。

残念ながら、僕の人生はこんなもんなんだ。

しかし、こんなもんではないか。

人生は物語である。

どんなに惨めに感じることがあろうとも、それはいつの日か人生のスパイスになっているかもしれない。

それをスパイスたらしめるのは、僕の意志の強さと戦略の精度である。

僕の人生はこれからだ。

これもまた人生だ。

人生は何が起こるかわからない。

だからこそ、生きられずにはいられないのである。