自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

「すべきこと」のうちで、「できること」を、「やりたい」ようにやる奴の就活

「すべきこと」のうちで、「できること」を、「やりたい」ようにやる

という基準で世の中を生きている。

すべきこと、というのはなかなか学生のうちにはわからない。例えば「ちがい」を認めすぎれば「おなじ」がなくなり、度がすぎると秩序を失う。「ちょうどいい」くらいがいいけど、それは何を基準で判断するのか。「過去」だ。「ちょうどいい」は「過去」からしか判断できず、それは自分の経験や他人の経験、他国の事例や、自国の歴史、そういったいろんなサンプルから「ちょうどいい」を判断するのだ。果たして、それが就活生に可能だろうか、、、?無理だ。たいてい無理だ。

 

だから、就活の時には先の基準を少しいじらないといけない。「すべきでないこと」のうちで、「できること」を、「やりたい」ようにやる、だ。これで、大抵は、先の価値基準を持ち合わせてる奴はうまくいくが、一つ問題があるのは「やりたいこと」を「ビジネス」を通しても「やりたいこと」になるか、だ。例えば、ここに社会について「議論」という手段を用いて「真理」に近づくのが好きな奴がいるとする。この「やりたいこと」は「すべきこと」のうちの「できること」であったので、それをビジネスにしたいと考える。そこで、金になるようにするために、You-Tubeで議論の様子を流す。そうなると、PV数を稼がないとビジネスにならないわけだが、PV数を増やすためには、刺激的なことを言わなければならない。そうして、新しい理論や仮説を提案する時間を増やすと、気が付いたら「真理」に近づくことができなくなる。結果、本質的ではないのでやりたくなくなる。こんなことになりうる可能性がある。

 

だから、「やりたいこと」の「本質」がビジネスを行っても保持されるか、を気をつけながら就活をしなければならない。この「本質」を判断するのが難しい。また、多くの人がここに目を向けていると、それがやりたいことであった理由は、それを「一緒に行った仲間」がよかったから、ということになるだろう。

 

その「仲間」と一緒にビジネスができれば万々歳だが、そうならないのがほとんどだ。だから、その好きだった仲間のまた「本質」をみなければならない。仲間の顔か性別か頭の良さか良心か。おそらく、一つと決めることはできず、必要な要素が適切な程度にある場合に、その人は、心から好きだと言える「仲間」になりうるのだろう。

 

そうして、その仲間の本質がわかったところで、次は、その本質が同質な人の集まりを嗅ぎ分けなければならない。誰でも嗅ぎ分けることができるコツは、プライベートな空気をつくって、プライベートな話をいっぱいすることだ。そうすることで、その仲間の腹が見えてくる。

 

こうやって、「すべきでない」ことのうちで「できること」を「やりたいように(やりたい人と)」やる、が定義されたら、あとは、幾つかの会社を受ければよい。程度の差はあれど、受けた会社は、あなたにとって十分なほどの環境が整った会社で、どの会社に受かっても「有り難い」のである。受からなかったら、それは、そのまんま、その会社は、他の人と比べた時に、あまり、あなたと一緒に仕事をしたいと思わなかったのである。

 

こうやって、自分に言い聞かせて、就活を頑張る。