自分分析学

言葉にしてみたい衝動の行き先

すとらテラ処方録 22 修論提出まであと10日

 

 1月20日福岡から帰ってきた。

○やるべき所まで終えて、家族で稲佐山に苔を採取しにいった。どこのpointから苔を採取するのか、把握することができず、かなりの手間ひまと時間がかかった。めちゃめちゃストレスがかかった。その後、ジョリーパスタにランチをしたが、美味しく食べることができなかった。家族が帰って、疲れ果てて家に帰って、その日につくるで、映画鑑賞会があることに気がついた。疲れていたので、最初は行くまいとしていたが、気分があまりにも落ち込んでいたので、結局いった。いい映画を見て、そのあと語った。理性的な動機から喋るのではなく、衝動的な動機から喋っていたので反省しようと思った。それがおわったら、車で送ってもらった。車の中でのおしゃべりがうまくいかなかった。空中戦だった。あんなときは、わかりにくいことを喋るのではなく、身近なことを喋れば良かった。哲学は本題ではなく、おまけ感覚に。相手と時間と場所を考えた内容を選べなかった。そうして、家に帰って、興奮がずっと続いていた。このときの時間は12時に近かった。早めに寝ようとしたが、なかなか寝付けなかった。座禅したり、youtubeみたり、色々やって気がついたら2時に。 

△ 理性的な動機から喋るようにすること。また、疲れ果てた時、ストレス過多時は、なんにも考えられなくなる。さらに、ストレス過多の状態から離れた次の日も思い出してストレス過多になりたくないので、その状態の時の工夫の仕方を考えるインセンティブが落ちる。だから、今のような、ちょうど3日後立った日などのに、「できない」が多く「みじめ」になり、「やけくそ」で「自暴自棄」になる前に、どういう解釈を自分でやるのか、ということを考えておいた方がいい。そこで、考えてみる。

思考停止になるのは、思考してしまうと、自分がダメなことに直面してしまって、苦しいからである。これは、前日や一昨日の記憶と比べてしまうからと、それよりももっと考えなければいけないのは、周囲の他人と比べてできないということに直面することである。周りの人はできるのに自分だけできないというのは明らかな事実で、これを覆すことはできない。だから、解釈は、これを認めた上で、どうするか、という方向がいい。で、今考えたのは、

第一に毎日、自分が他人と比べると必ず出来ないことがあるんだということを自覚し、その「足らない」「できない」状態になれておくこと。自分は必ず、なにかを忘れ、ミスをし、誤解をする、嘘の記憶を捏造する人間であるということを自覚しておくのだ。

第二に、常に自分のできることで貢献をしておき、合計のプラマイでプラスの状態をつくっておくこと。ここで、なぜ+かというと、これは、22日にツイッターで投稿した、リレーのことを思い出すといい。自分の番では自分は8秒で走るので、明らかにチームの足を引っ張るのである。この時、自分がチームから2秒足を引っ張っていて、裏方で2秒貢献できていたとしても、裏方の貢献はわかりにくいので、感覚としては、自分はどちらかと言えば足を引っ張る部類に属することになる。だから、分かりにくい貢献に関しては、プラマイゼロで貢献するのではなく、仮に迷惑をかける場面があっても、誰もが、心から許してしまうくらいの、「いつもお世話になっていて、本当に助かっているのだから」と自分が迷惑をかけているのを目にした時に、感謝をしてしまうくらいの貢献をしておかなくてはならない。他の人は、自分の苦手なこと、好きじゃないこともしているのにも関わらず、自分だけが、好きなこと、得意なことができるというのは、他人から見たとき、不公平に感じる。だから、まさに「圧倒的」に自分の得意分野で貢献をしておかなければならないのである。そういうことができている自負があれば、仮に今回のように、どこで採取をしたか忘れたり、思い出すのに時間がかかったりした時に、感じる申し訳なさは少しは減るだろう。「お互い様」と自分の心の中で念じて。

第三に、とはいっても、明らかな他人へのダメージや自分の評価ダウンに負い目を感じたりするので、自分がストレス過多になるとダメになることを事前に伝えておき、重なったら、脳の処理スピードが落ちる前に、休憩をもらうのだ。休憩をもらっておいて、ネガティブなだけの解釈を捨て、現実を直視し、いつもの自分の心理を実際的な処置ができる状態にするような工夫のある解釈を施し、正常な状態に近いところまえ持っていく。こういう時はスピードを少し落としてもらう。相手は少し、イライラするかもしれないが、自分は「不快感の無い状態」をつくるのはできないので、「どの不快感で我慢をしてもらうか」を基準に考えていく。こうすることで、期待と現実のギャップを埋めることができ、自分も相手も最小限のストレスで抑えることができる。もう一度言う。「どの不快感、どの印象ダウンで、相手が、自分が、我慢するか」を選択することが大事なのである。

 

以上、恥ずかしかったり負い目を感じたときのメンタルのつくり方は確認ができた。

次に確認すべきは、今回の稲佐山事件で起きた記憶障害や動作生IQの低さにどう処置を施していくかという話だ。ここは、できるだけ「ゆっくり」するしかない。落ち着いて、もういらない」と思ったら、あと一回確認をするのである。企画と一緒で確認を「もう十分だ」と思ってから、後一回する。過去を振り返れば、こういうものは必ず、必ず、どこか不備があるので、その過去のことを何度も振り返って、くだらないと思わず、何度も丁寧に確認をする。これは、少し大変なことなので、日々意識的にやらなければいけない。母親が何度も馬鹿らしい程に確認をするように、自分も馬鹿らしい程に、何度も時間をかけて、丁寧に、非効率に確認をするのだ。これを何度もやっていくしかない。

1月21日寝れなかった日

○前日のせいで遅くにおきた。8時くらいに起きている。この日は全くツイッターをしていない。朝早くに学校に行って、修論の内容をよく確認して提出した。その後、楽天を支払おうとしたが、お金の足りないことに気がつき、お金の工面についてずっと考えていた。すると気がついたらカウンセリングの予約をすっ飛ばしていた。30分程遅れてカウンセリングを受けにいった。カウンセリング後は、消費者金融に連絡をした。夜遅くになっていて、家に帰った。前日の精神的な疲れが残っていて、嫌な、メタになれておらず、不幸な感じで一日が終わった.

△ 1つのことに夢中になったら大変だ。毎日の予定とメモを見直す習慣をつけたほうがいいのだろうか。現実逃避でもあるが、先のことをあまり考えず、ただ、夢日記や日向ぼっこをしているときは、多幸感に溢れている。先のことを考えた時、その先のことが希望があまりないからなのだが、笑、苦しくなる。今の多幸感は、畢竟、現実逃避からきているものであり、ゲーム中毒の状態と実は、なんら変わりない。仏教的に今ここに集中する時間と、世俗的に未来に思いを馳せる時間を分けて、なめらかに移動したい。

さて、ところで、自分の未来に希望はないのだろうか。確かに、昔望んだものとは異なるが、今の生活を送ることができることを考えると、希望があるかどうかはわからないが、特に問題はあまり感じない。結婚が難しいのと親への申し訳なさがあるが、この生活の延長に仕事をつくれるので、現段階では特に自分は苦労を感じない。それよりも、内定先で自分がうまくやれるかという不安が大きい。また、未来については、今もだが、修論について見通しがつかず、ついてもうまくいかないことが予見されるので、不安がいっぱいだ。今後、自分は、このように通常のレースは速くは走れないのだから、ずっとこういう風になっていくだろう。しかし、淡々と毎日を誠実に過ごしていくしか明日の不安は晴れない。未来の不安は当たり前で、それを自分だから仕方の無いことだと認めた上で、実際的な工夫を施して対処していく。そうして、毎日に命を使い切っていくのだ。毎日がより蓄積的に、どこかに繋がるように、納得のいくようにするには、感性の向きに従うのもいいが、未来から考えて毎日を考えていくのもありである。こうすることで、例えば、今の会社であれば、エクセル技術やメール文のストック、プログラミングへのモチベーションもわいてくるし、その会社は自分の中では納得のいく選択肢であるので、毎日が際立っていく節もある。未来と今をバランスすることで、よりよい毎日がつくられるのではなかろうか。

そして、もう1つ忘れてはならないのが、恋愛やセックスに対して経験が乏しいことである。ここがかなり大事で、定期的に考えてしまう。淫らな生活に憧れた。しかし、これまで何度合コンをし、福岡でナンパをしようとし、出会い系サイトに登録したことか、、、出会い系に関してはビッチと出会ったけれど縁を切ってしまった。友人についてもそうである。自分は、そういう人になろうとずっと考えて8年間過ごして来たが、一度だって、そういう風にはなれなかった。これは、自分のADHDと同じで、淫らなことができない病気なのである。度胸がなく、傷つきたくなく、綺麗でいたいというような病気である。お金を払った分かりやすいwin-winな関係を築かない限りにおいて無理である。相手が、それを望んでいたとしてもそれを確信することができないので無理である。故に、恋愛ができない病気だと割り切って、もし、それを処方してくれそうな積極的な女性に会えば、やってみてもいいのである。さらに、恋愛をすると、自分の時間とお金がそこに費やされるので、非合理である。これを考えるに、入社後すぐは恋愛をしない方がいい。みんなはするが、自分がすると、自分が苦しむ。自分は、最初の方では、すぐに適応するのが苦手なので、最初は、会社の原理原則の習得に時間をかけるのである。性欲のはけ口は、これまで通り、自慰で対処していくしかない。恋愛のできない病気だから仕方が無いのである。

 

 

1月22日 結構ダメだった日。

○早めに起きて、学校に。学校で、毎日のことをやろうと思ったがなかなか手がつかず。朝、病院に行く予定があったが、直前で寝てしまって遅れていった。終わった後、学校に戻る。その後、現実逃避のためにyoutubeや漫画にはまった。気がついたら19時になっていた。結局ブログも何もできなかった。住民票を提出しようと郵便局にいったら、住民票を持っていき忘れていた.あと、昨日、一昨日は呟けなかったが、今日はがっつり呟いた。

△必ずyoutubeや漫画にはまるときは、アラームをつけること。あと、数分やる」という感覚は必ずわすれてはいけない。まぁ、こんな日もあるだろう。

△ 初心に返ろう。毎日が蓄積。今が一番素晴らしい。波に載せられるな。波に乗れ。もはや波をつくれ。今は、波の落ちる所。之に乗れ。大切なのは、常に反省、常に工夫。それを繰り返すことで、よりよい反省や工夫の仕方を模索すること。だから、必要なのは、反省の反省、工夫の工夫である。この次元を意識しながら、毎日を過ごすことこのための、心理学がある。毎日の自分の成長を褒めてあげること。褒めて挙げる、というより、自分の成長した部分に目を向けるように言語化してあげること。自分は等速直線運動のように成長をするわけではない。階段のように、ポケモンのように、ある程度の経験値がたまったら、ぐんとある時、伸びる。だから、焦らず、目には見えないけれど、ずっと自分は成長をしている。色々身に付けたら、幸せになるのではない。まず、幸せになってから、色々な適切なものが勝手に身に付いていくものである。だから、身近な太陽の光や自然の声等に耳を傾けて、自分が幸せになってあげる。そうして、内に集中することで、自分が損なわれないように、自分を見つけて、声を聞いてあげる。優しくいたわってあげる。乱れに敏感になれ。小を大として、事とせよ。小さなずれや漏れに気づき、言語化し、存在を認めてあげ、仲良く手を結び、足を地につけながら、共に前に向かって歩んであげよう。とらわれるな、捉えよ。逃げてもいい。だが、仲良くしてあげるとより一層、楽。焦らなくて良い。丁寧に集中して、毎日を過ごしてあげよう。主と副が逆になったら自分が来るしい。主を自分の幸福。副を別の何かと定義して、生活しよう。自分が仕事をしたくない気持ちになっているのは、今が楽で、心地がいいから。これは間違いない、が、内圧と外圧の調整をするのがバランス。外圧としての親への孝行、世間体、そして、単に仕事ができるようになること。これらが、きちんとできるようにならない限り、未来がわからない。今ここ」に生きることが仏教的にはすばらしい。ただ、今ここ」に集中するには、周りがそうである環境が必要で、自分の周りはそうではないし、どこにいってもそうではないので、少なからず意識せざるをえない。だから、未来についてのある程度の安心な見通しがついていれば、今ここ」にも集中ができるし、その意味で、会社に行った先のことを考えてみれば、これまでの経験から、住めば都になるのであって、東京にいけば東京ならではの良さに浸り、なれていくのだろうし、その世界に浸れば考え方も変わるかもしれないし、また別の経験を蓄積することもできるし、ここにいてもいいが、実際gcの方が若いうちは高いお金をもらえるし、だから言っても良い。忘れちゃ行かんのは時間感覚がぶっこわれているということで、もしかりにここにずっといても、いいけど、この世界の中だけで完結して、少し度が過ぎていて、他の可能性を閉ざしてしまう。

てか、なんだろう。ぶれがある。落合の昔のツイッター見てから、恋愛しなくちゃと影響を受けた.んで、シェアハウスにいて、恋愛ができるかと思ったけど、少しよく考えれば、仕事し始めたら、僕の場合は、お金の使い道は仕事の生産性を最適化する方にお金を使うだろうし、借金もあって返さないといけないし、もし仮に付き合ったとしてもお金がなくて、よくデートにもいけなくて、ちゃんと恋愛に集中できないだろうから、28になってから、まだgCにいれば

の話だけど、仕事が上手く生き始めて、ある程度の、政治/経済/社会/文化/心理/教育/仏教/解釈学/と多角的にみれるようになってから、遅めだけど恋愛に集中し始めたい

 

1月23日  自然に生活した

○ 6時頃に起床。今日は家でやろうと思った。2日分の記録がたまっていたので、それらを入念に記録した。家入さんの図書を読んだ。気がついたら昼を過ぎていて、学校に行き、住民票を提出してきた。その後はHIT。200のアイデアを考えて、その後、疲れた。料理をつくって、考えたアイデアをパソコンに書き出して、風呂に入ろうと思ったが、タイミングがかぶったので、寝る時間が遅くなり11時30頃に入眠。

△ 家だとやる気がでるようだ。太陽光に当たるか否かは結構自分のエネルギー源の程度に関わってくる。会社では、そんなことも考える暇がないだろうから、この理が応用できるかはわからないが。まぁ、いい日だったように思う。

 

1月24日緩やかに過ごした日ver2

○ 朝から昼までは緩やかに過ごしていた。リディラバの記事をみた。夕方から研究室にいって、先生方に印鑑を押してもらいにいった。間に合わず、やる気も出なかったので、家に帰ろうとしたら、立て看板が目についた。おしゃれをして憲法9条のいかがわしい講演会にいった。帰って来て、住民とわいわい話して、若干疲れていたので、すぐに寝た。

△ 朝から昼までの記憶が弱い。あ、そうそう、寝たんだった。長い昼寝をしてしまったんだ。やる気があったけど。日光が気持ちよかった。だからね。

 

1月25日 修論結構やれた

○ 3時に起床8時くらいまで修論と睡眠についての勉強。11時くらいまで学校。先生を待っている間は、健康の本を読破。11-12時まで睡眠。睡眠後、学校。睡眠のことを勉強して、やる気でず。家に帰って、すき焼きつくって、睡眠。

△ 毎日のルーティンをし忘れた.瞑想だけやったかな。完全に忘れてた.やはり睡眠不足による脳の機能ダウンはあるようだ。普通は忘れない。睡眠は取った方がよさそう。あと、パソコンが壊れたが、このパソコンや他のHDDは自分のおっちょこちょいの戒めとしていつも見える所に置いておこうと思う。慎重に行動するためのお守りだ。

 

1月26日 本を良く読んだ。

○ 5時起床。毎日の習慣を終えた後、複数本をダウンロードし、心理学の本を読む。一冊読み終えた後、会社の人を覚える為にアプリに準備。何かやるべきことをやろうとしたが、気分が乗らず、どうしても三島の不道徳教室を読みたくなった。そして、失敗の本質を片手に歩いて向かう。むしゃくしゃして、途中コンビニでおにぎりをかった。歩いてみると、色々と客観的に前向きに考えが進んでくれる気がするのでメンタル的によい。到着したが、自分の格好や書店の前の前書きをみて、尻込みして帰って来た。ただ、本は買いたかったので、ココウォークに電話した所、なかった。それから、心理学の本を携帯で二冊目読破。三冊目の途中まで、料理やゲームの住民がしている所をみながら読んだ。あ、そうだ、家に帰ってから本を読むまでに睡眠不足による脳疲労が感じられたので、1時間弱の睡眠をとった。そうして、結構に頭が明晰になった。

△ 今日の反省は、実は、合計で7時間くらい、ノンレム睡眠を十分にとった形の睡眠をとった上で、書いているのだが、やったことが意識的で明白であったおかげであるのか、よくスムーズにかけた。睡眠は長い方がいいのかもしれないと仮説を立てておく。

気分転換の仕方は素晴らしかった。あと、本屋の前で立ち止まったのは、自分の人生を変えかねない程の経験だったように思う。これから、身だしなみとして、洗練された空間にいった時のためのマナーを積極的に身につけていこうと思う。一流を味わうには自分も同じステージに立たなければならない。

電車の中で打とうとしていた。電車の中の眠りは非効率なので、やめよう。もしそうなったら、立つようにしよう。というか、電車の中では作業をしない限り、立つ習慣をつけた方が健康的なのかもしれない。

 

1月27日 心理学と古事記を勉強した日。

○ 早起き。諸々やって、心理学の読書とまとめ。それから漫画版の古事記を読んだ。頭が痛くなって、途中で仮眠。料理をして、きつかったので寝る間際はゆっくり白湯を飲んで、座禅を組んで、消化をまって、つぼも押して、睡眠。あと、バイトの申し込みを行なって、親とも電話をした。誕生日についての論考もした。

△ 頭が痛く、次の日はなおっていたので、たんなる目の使い過ぎだと思う。気にすればする程、体調がわるくなっていくのを感じた。こういう時は、寧ろ熱を測った方がいいのかもしれない。又、バイトがADHDを理由に拒否された。

 

1月28日 財布と親からの電話で精神的にめっさ疲れた

○ 頭が痛かったので6時間ちょっと寝た。起きて、毎日の習慣の後に、古事記の勉強の提案や心理学のまとめを完了した。それから、あまり建設的には時間を過ごせてない。10時からのゴールデンタイムはゲームで過ごしてしまって、それでリズムを壊し、一旦仮眠、その後、twitterし、母からの電話があった。お金についてで、結構な体力をつかった。そして体力が少し奪われた後、カウンセリングに少し時間が遅れていって、その後、財布が無くなったことに気がついて、探していた。財布を捨てたかと勘違いして、とてもストレスがかかった。それから、ぼーっとタイムラインを見て、料理をして、最後に、漫画古事記を再読して、睡眠。睡眠は早く取れず、変な動画をみていた。あと、この日はかなり噛んでいた。

△ 自分はとっさの対応ができないので、お金の件についてなど、もし問われたら、なんて答えようか準備をしておく必要がある。これは、習慣にするのは難しく、コツは、誰から見ても全うな筋を自分の生活に通すことを「意識」しておくこと。今回は、親から見た筋を意識していなかった。この「ある人からみた筋のズレ」、「誠意のズレ」、を発見した場合、

①まずは無理やり筋を通すように環境を変えるか、筋を通していない人物に「自ずから」適切な方法で打診をすること。

②それが、厳しければ、何か当該案件に関わるようなことを聞かれた際に整合性がとれるようなことを言っておくこと。それに必要なのは「遊び」である。例えば、僕の住んでいるシェアハウスが、バイトの代わりになっているように、普通ではあり得ないものを生活の中に準備しておき「余裕」をつくる。その余裕にしわ寄せ案件を当てはめることで、柔軟な対応ができるようになっておくこと。宗教や持病等もその一件になりうる。基本、それらで対応するが、それが厳しいものに関しては、気がついた「その場で」解釈をつくる

③それすらも厳しければ、今回の母と自分のお金や誇りに関しての関係と同じように、今は仕方なく不当な評価を受けるが、後で挽回することを腹で決めること。大義のために「しかたない」犠牲だと割り切れば、対応も感情でぶれること無く、適切なものをつくれる。